最近の発掘調査から


津島岡大遺跡第17次調査


・調査開始:5月21日〜
・終了日:1997年1月9日
・調査担当:横田美香・小林青樹・野崎貴博

環境理工学部校舎新営予定地発掘調査が無事終了

昨年5月より、津島岡大遺跡の北東地域(乗馬の練習場のわき)において、明治時代から縄文時代後期(約4000年前)にいたるまでの低地性遺跡(川べりや、じめじめした所にある遺跡)の調査を行いました。
調査は無事終了しましたので概要について報告いたします。  この遺跡は、主に、江戸時代から弥生時代前期(米作りの始まった時代)の頃(約2300年)までの水田が何層も重なっており、下の方に弥生時代前期(約2300年)から縄文時代晩期(縄文時代の終わり)の後半頃(約2400年前)に形成されたと考えられる黒色の層が堆積しています。
 調査のなかで、縄文時代の集落の状況が最もよくみることができたのは、11月の中頃でした。一度現地説明会を開きましたが、100人を越える多くの皆さんに見学していただきました(写真1)。

縄文時代後期の集落は、土器の特徴から後期でも前半の時期であることがわかりました。後期前半の特徴的な土器が多数出土しましたが、なかでも福田2式等が大量に出土しました。その他、弥生時代の大型蛤刃石斧とみまがうほどの大型磨製石斧も出土しています。
検出された遺構は、約900にものぼる多数のピット(貯蔵用や柱の穴)・(写真2)、住居跡5軒、溝2本などです。
(写真1)現場見学会の様子、多数のピットについて説明しているところ



(写真2)調査区北側拡張区の多数のピット群、何に使われたのでしょうか?



(写真3)調査区の全景(西側より)、溝が横断しているのがわかります。


この遺跡で今回特に注目されたのは、調査区を横断する溝です(写真3)。西日本では、いままで縄文後期にさかのぼる今回のように明確にきちんとした溝の検出例はほとんどありません。いまのところ。縄文時代後期の東日本では、遠く北海道では多く見られ、東北でもわずかに見つかり始めています。関東などでは、後期の最終末にならないとなく、むしろ晩期の前半につくられます。あるいは、西日本から東日本への別の系譜もあるのでしょうか。今回見つかった溝の源流は一体どこなのか?、非常に興味があります。(文責 小林)
(写真4)後期の溝、西側より。


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Last update/1996.12.16