助教授 松木 武彦
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tel/fax 086-251-7457
研究テーマ
戦争と武器の考古学的研究
戦争とジェンダー,エスニシティ
弥生・古墳時代の物質文化と社会の変化
方法論的個人主義の考古学への適用(ダーウィニズム・構造化論・文化伝達)
ランドスケープ考古学
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最近の著書・論文:
著書
松木武彦. 2001.人はなぜ戦うのか−考古学からみた戦争−
講談社、東京
共編書
松木武彦・宇田川武久編. 1999. 戦いのシステムと対外戦略
(国立歴史民俗博物館監修・人類にとって戦いとは 3)
東洋書林、東京
論文(2002年以降の主要なものです、詳細は岡山大学ホームページの研究者総覧などを参照ください)
松木武彦. 2004(印刷中). 戦争の生成と持続に関する考古学的展望
文化の多様性と比較考古学(考古学研究会50周年記念論文集)
考古学研究会、岡山
松木武彦. 2003. 古墳出現期の鉄鏃の一様相−腸抉三角形鉄鏃について−
石野博信編.初期古墳と大和の考古学
学生社、東京
松木武彦. 2003. 歴史における武力の諸形態とエスニシティ
文化共生学研究1
岡山大学大学院文化科学研究科、岡山
松木武彦. 2002. 日本列島原始古代武器副葬の展開と社会的諸カテゴリーの形成
−ステイタス・ジェンダー・エスニシティ−
藤木久志・宇田川武久編.攻撃と防衛の軌跡
(国立歴史民俗博物館監修・人類にとって戦いとは 4)
東洋書林、東京
研究発表(2002年以降の主要なものです、詳細は岡山大学ホームページの研究者総覧などを参照ください)
国際学会
松木武彦. 2004(予定). A new perspective on the begining of the Kofun period protohistoric Japan:
From group oriented to individualizing chiefdoms
古墳時代の開始に関する新視点−集団主導型首長制から個人型首長制へ−
SEAA (東アジア考古学会) 2004 ,ソウル 韓国
松木武彦. 2003. The historical trajectory to Kamikaze
「カミカゼ」への歴史的軌跡
WAC-5(第5回世界考古学会議), ワシントンD.C.
合衆国
松木武彦.2002.日本列島における大型墳墓の出現
韓国 国立文化財研究所 第11回文化財研究国際学術大会 ソウル 韓国
国内学会
松木武彦. 2004 弥生時代後期の打製石鏃について−機能主義考古学と認知考古学の対話−
第5回古代武器研究会,彦根
要旨 近畿や瀬戸内を中心とする弥生後期の打製石鏃は、製品数の減少、大型化、特定のエッジやポイントを強調する造形意識の尖鋭化、といった諸変化をみせる。その要因として、原料石材の流通の変化、製作の「場」の変質、道具としての意味の変容、の3点が考えられる。まず、原材については流通量の減少が推測されるが、製品はかえって大型化しており、予測されるような変化はみられない。製作の「場」に関しては、普及が進む鉄鏃や銅鏃に対して生産数が減少していくこと自体が、打製石鏃の形態変化に重要な影響を与えたと考えられる。すなわち、生産数の減少により製作技術の伝達が徐々に限定されていくに伴い、その製作技術の行使や主体者に対する特別な認識が形成・強化され、そのことが、1個あたりの製作に投入される認知・時間・技術の諸コストの増大と、その結果としての大型化や造形意識尖鋭化の1要因をなした可能性が高い。意味の問題については、本来的な機能に関する認知に加え、上述した製作の「場」や技術の特殊化という新たなコンテキストの付加が、スキーマの重層化・複雑化を導いたと理解される。このスキーマ変化の問題は、大型化や造形意識の尖鋭化による形態の複雑化や地域色発現の意味を考えるうえで重要である。
以上のように、弥生後期に極限に達する打製石鏃の大型化には、意味の変化と連動した製作の「場」の変化が大きく影響している。この変化は、製品を生み出す製作者のハビトゥスが、身体的な非言説的知識の比重が高いモーターハビット支配的なものから、言説的な知識がより重要な役割を演じる表象先導的なものへと傾いた過程と理解できる。本来、武器という道具は、その製作のハビトゥス構造として、言説的な表象が重要な役割を占めやすい特質を有する。打製石鏃の大型化という現象の理解には、機能論だけでなく、こうした認知的側面の作用を考える必要があろう。今後の武器研究は、機能論を基礎に置きつつ、認知考古学的な理論や手法を取り込んだ幅広い検討が必要である。
松木武彦. 2003 吉備地域における古墳築造パターンの変化
第8回考古学研究会岡山例会シンポジウム,岡山
要旨 古墳個々の形態・規模・内容等の諸要素は、それが表すカルトへの帰依度、その知識の獲得程度、被葬者の個性、競争意識、労働集約力、政治的抑制などなど種々の因子を、各造営主体が認識・忖度した末に、各々自律的かつ戦略的に選択・決定するものである。このように各々の脈絡で築かれた古墳相互の関係があらためて意識された後、それがある種の秩序として認知・言説化され、政治的秩序表現としての意味を強める局面はありうるが、それ自体たえず変形しながら再生産され、背後の社会や文化もまた変容する。さらに、ランドスケープとしての古墳はその築造後も意味をもちつづけ、それに関与する人々や社会の文化的再生産に大きな機能を果たす。このように、古墳の規模や形態が表示する一個の秩序体系が広い範囲や長い期間にわたって存在したとみなす考えは、理論的にも再検討が必要である。とりわけ、古墳の編年図をあたかも「テキスト」のように扱い、大型前方後円墳を"隆盛"、小形化や空白化を”衰退""没落"などと「解読」する古墳時代史の叙述は、厳しく再検討されなければならない。
「雄略朝」期にみられる吉備地域の大型前方後円墳の築造の停止も、そのような古墳の「解読」と文献との付会によって、近畿の大王政権による吉備地域への支配強化、吉備勢力の衰退・弱体化などと理解されてきた。しかし、この時期の古墳築造パターンの変化は列島の広い範囲で普遍的に生じたものであり、前方後円墳が消滅する地域、分散・小型化する地域、逆に発達する地域など、古墳のあり方は地方ごとに多様となる。この状況は、集団間関係の確認や再生産の局面で古墳築造の行為が有していた政治的な意味が、「雄略朝」期後にはもはや列島規模の普遍性をもたなくなりつつあったことをしめす。その背後には、集団間関係におけるこうした政治的な役割を、古墳に変わって別の仕組みが引き受けるようになりつつあった状況や、富がコンプレックスの営造に費消されることなく別の形で集約化され始めた可能性を想定できる。このような新しい社会関係にいち早く移行したことが、「雄略朝」期後の吉備地域において大形古墳の築造が途絶えた最大の要因と考えられる。