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スキナー以後の行動分析学(1):その基本的位置づけ


岡山大学文学部紀要, 18, 49-67.







 B.F.スキナー(Burrhus Frederic Skinner)は1990年8月18日に86歳の生涯を閉じた.彼は,行動分析学の創始者であり,徹底的行動主義者として現代の心理学の発展に大きな影響を与えてきた.しかし,日本では,スキナーの業績は“行動工学”といった名前でごく一部分しか紹介されておらず,しばしば大きく誤解されているように思う.本稿は,スキナー以後の行動分析学の役割と展望を論じる第1歩として,まずスキナーが日本であまり知られていない事実を指摘し,続いて行動分析学[補注1]の基本的特徴を筆者の主張をまじえながら整理することを目的とする.
 
1.日本におけるスキナーの普及度
 
 心理学者スキナーの名前は,日本では,フロイトやユングなどと比べるとほとんど知られていないようである.
 はじめに,学生に対するアンケートの結果からその実情を把握しよう.表1の(1)は,長谷川が担当している岡山大学一般教養科目の心理学(1992年度)の第1回目の講義を受講した大学生102名を対象に行なったアンケートの結果である.アンケートでは,“あなたの知っている心理学者を何人でもよいから書いてください”と質問した(1992年度,対象学部は理,薬,農学部).表1の(1)によれば,1/4〜1/5の学生は,大学入学以前からフロイトやユングの名前を知っていたのに対して,スキナーを掲げた学生は1人もいなかった.心理学を受講しない限り,スキナーの思想にふれる機会は生涯にわたってないのではないかと示唆される.
 
 


表1 フロイトやユングと比較したスキナーの知名度,紹介記事の実情

 

調査(検索内容)                     

 スキナー

 フロイト

 ユング

( 1)3者を知っている学生の人数
( 2)平凡社世界大百科事典1981年版における関連項目数
( 3)平凡社世界大百科事典1985年版における関連項目数
( 4)平凡社世界大百科事典1985年版における説明行数
( 5)大日本百科事典ジャポニカ1969年版における説明行数
( 6)ブリタニカ国際百科事典1975年版における関連項目数
( 7)ブリタニカ国際百科事典1975年版:小項目事典における説明行数
( 8)ブリタニカ国際百科事典1975年版:本編における説明行数
( 9)広辞苑第4版における説明行数
(10)岩波西洋人名辞典1956,1981年版における説明行数
(1!)新版世界人名辞典1971年版における説明行数
(12)教育人名辞典1962年版における説明行数
(13)日本語に翻訳された著書の発行点数
(14)38種類の事(辞)典における記載件数
(15)38種類の事(辞)典における記載件数(記述量300字より大)
 

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  16
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   16
   10
 
説明
(1)本文参照.
(2)下中(1981)における,3者の名前が出現している項目の数.索引巻に基づく.
(3)下中(1985)における,3者の名前が出現している項目の数.索引巻に基づく.
(4)下中(1985)における,3者自身の名前についての説明行数.
(5)相賀徹夫(1969)における,3者自身の名前についての説明行数.
(6)ギブニー(1975)における,3者の名前が出現している項目の数.索引巻に基づく.
(7)(8)ギブニー(1975)における,3者自身の名前についての説明行数.
(9)新村出(1991)における,3者自身の名前についての説明行数.
(10)岩波書店編集部(1956)における,3者自身の名前についての説明行数.なお,増補版 (岩波書店編集部, 1981)も同じ行数.
(11)河部利夫・保坂栄一(1971)における,3者自身の名前についての説明行数.
(12)教育人名辞典刊行会(1962)における,3者自身の名前についての説明行数.
(13)国立国会図書館に納本された国内刊行の図書.学術情報センターのデータベースJP MARCに基づいて検索した(1992年7月現在).
(14)'15)外アソシエーツ(1984)による.
 


表2 スキナーの主要著書


 No

出版年

表題       .

  1
 2
 3
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 5
 6
 7
 8
 9
 10
 11
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 13
 14
 15
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 17
 18
 19
 20
 21
 22
 

1938
1948
1953
1957
1957※
1961※
1961
1968
1969
1971
1972
1974
1976
1978
1979
1980※
1982※
1983※
1983
1987
1988※
1989
 

The behavior of organisms: An experimental analysis
Walden two
Science and human behavior.
Verbal behavior.
Schedules of reinforcement.
The analysis of behavior: A program for self-instruction.
Cumulative record.
The technology of teaching.
Contingencies of reinforcement: A theoretical analysis.
Beyond freedom and dignity.
Cumulative record: A selection of papers. 3rd ed.
About behaviorism.
Particulars of my life.
Reflections on behaviorism and society.
The shaping of a behaviorist.
Notebooks.
Skinner for the classroom: Selected papers.
Enjoy old age: A program of self-management.
A matter of consequences.
Upon further reflection.
The Selection of behavior: The operant behaviorism of B.F. Skinner:
Recent issues in the analysis of behavior.
 

























 
※印は,共著,編著,または他者の編集によるもの.
表題の一部を省略したものもある.
著書の概略については佐藤(1976, PP.262-263)参照.

表3 スキナーの主要著書の日本語への翻訳状況


No



翻訳書の表題         

訳者

 2
 8
10
12
 9
18
 

1969
1969
1972
1975
1976
1984
 

×
×
×
×
×
×
 

心理学的ユ-トピア
教授工学.
自由への挑戦:行動工学入門.
行動工学とはなにか:スキナ-心理学入門.
行動工学の基礎理論:伝統的心理学への批判.
楽しく見事に年齢をとる法.
 

宇津木保・うつきただし
村井実,沼野一男
波多野進・加藤秀俊
犬田充
玉城政光
本明寛
 
訳書の番号は,原書の番号に対応している.
表題の一部を省略したものもある.
×印を付したものは,1992年8月現在では入手不可能.(品切・絶版などによる).

表4 行動分析学の一般向けの解説書


 No


  表題         

著者

 1
 2
 3
 4
 5
 6
 

1972
1976
1978
1983
1987
1988
 

B・F・スキナー-----人と思想
行動理論への招待
オペラント心理学入門-----行動分析への道
講座 なぜ行動変容の心理学なのか
新版 子どもの行動変容
オペラント心理学-----その基礎と応用
 

エヴァンズ著,宇津木保訳
佐藤方哉
レイノルズ著,浅野俊夫訳
東正
東正
岩本隆茂・高橋雅治
 



 
 人名事(辞)典では,記述量が少ないために,スキナーの業績のごく一部にしか目が向けられていない場合があった.例として,まず西洋人物レファレンス事典(日外アソシエーツ, 1984)を参照してみよう.これによれば,スキナーは,“アメリカの心理学者.新行動主義の代表的学者の一人.ティーチング・マシンによる教育法を発展させた.”とだけ説明されており,もっぱら教育方法の開発者としての印象を与えている.次に,権威ある人名辞典として知られる岩波西洋人名辞典増補版(岩波書店編集部, 1981)によると,“...(略)...新行動主義の一人で,行動に関する見解では他と大差ないが,新しい実験方法の創始者たる点に彼の本領がある...(以下略)”と記されている(ゴシック文字は長谷川による).しかし,後述するように,スキナーの最大の業績は,行動とそれを維持・変容させる強化随伴性の考え方にある.決して“行動に関する見解では他と大差ない”とは言えないように思う.この岩波書店の辞典には問題点がさらに2つある.1つは,1981年増補版の内容が1956年版とまったく変わっていない点である.つまり,1956年以降のスキナーの業績がまったく考慮にいれられていないことを意味する.もう1つは,カタカナ名が“スキナー”ではなく,“スキンナー”とされている点である.原音はどうあれ,現在の心理学で,Skinnerを“スキンナー”と呼ぶ人はまずいない点を指摘しておく.
 スキナーが日本であまり知られていない理由の1つは,翻訳書の少なさにある.表2および表3に示すように,スキナーの原著は,共著や他者の編集によるものを含めると22点ほどあるが,翻訳されたものはこのうちの6点にすぎない.しかも,少なくともそのうちの3点は,すでに品切れや絶版になっており入手することができない現状である.
 翻訳書に関してはほかにも問題がある.まず,いくつかの書物において,翻訳文が難解であるという点である.もっとも,これはスキナー自身にも責任がある.大学進学時に英語学を専攻し作家を志していたせいか(宇津木, 1972, p.183-189参照),スキナーの文章は必ずしも科学論文向きの簡潔な表現ばかりではなく翻訳者を手こずらせているようである.じっさい,翻訳者たちは,“スキナーの文章は単純明快のようで,実は含蓄に富み,日本文に置きかえるのに非常に苦労させられた(玉城, 1976, p.280)”,あるいは“スキナーの文章はたいへんに難解であった(犬田, 1975, p .296)”などと述懐している.また,翻訳者の中に実験的行動分析を実際に手掛けている研究者が含まれていないことも訳語の統一の点などで多くの問題を残している.いずれにしても,平易な翻訳書が見あたらないということは,スキナーの思想を理解する上での大きな障害になっているものと思う.
 翻訳書の表題が原題から大きく外れている点も問題である.たとえば,『Contingencies of reinforcement: A theoretical analysis』(Skinner, 1969),『About behaviorism』(Skinner, 1974)の翻訳書の表題は,それぞれ,『行動工学の基礎理論:伝統的心理学への批判.』,『行動工学とはなにか:スキナ−心理学入門』となっている.いずれも出版社の要望によるものであるというが(犬田, 1975, p.296; 玉城, 1976, p.281),行動主義をキーワードとしてスキナーの著書を探し出す際の大きな障害になっている.じっさい,学術情報センターのデータベースJPMARCを用いて“BEHAVIORISM”あるいは“コウドウシユギ”をキーワードに含む書籍を検索してもスキナーの著書は1点も表示されなかった(1992年8月7日現在).
 
2.行動分析学の基本
 
 行動分析学の基本的な考え方は,日本ではあまり知られていないばかりか,しばしば誤解されている.そこでまず,要点をまとめてみよう.但し,行動分析学といっても,種々の立場がある.以下は,スキナーの思想や行動分析学者の主流となる考えを必ずしも忠実に要約したものではない点に留意してもらいたい.
 
【1】行動分析学の目的
 行動分析学の目的は,観察・測定・再現が可能な独立変数が行動にいかなる影響を与えるのかを体系的に記述し,行動の予測と制御をめざすことにある.
【2】行動の定義
 行動分析学が研究の対象とする行動は,生物が行なうことのすべてを含むものである.ただし,それらは,環境に対する働きかけの内容に基づいて機能的かつ客観的に定義される.
【3】モデルや媒介変数の排除
 行動分析学は,実体のない擬似生理的なモデルや未熟な媒介変数による説明を排除する.
【4】オペラント行動(operant behavior)の存在
 生活体の行動は,オペラント行動とレスポンデント行動(respondent behavior)に二分される[補注2].レスポンデント行動とは,刺激によって誘発される行動である.オペラント行動とは,そのような誘発刺激が存在せず,生活体みずからが自発する行動のことである.人間を含む高等な動物の行動の大部分はオペラント行動である.
【5】強化随伴性(contingency of reinforcement)
 オペラント行動は,“行動とその結果”すなわち強化の随伴[補注3]を原因として変容する.強化随伴性がもたらす行動変容には主として5通りのタイプがある.
(1)行動の結果に正の強化刺激の出現が随伴することによって当該行動の自発頻度 が増加または高頻度を保つ“正の強化(positive reinforcement, 陽性強化)”
(2)負の強化刺激の除去が随伴することによって当該行動の自発頻度が増加または 高頻度を保つ“負の強化(negative reinforcement, 陰性強化)”.
(3)強化刺激が随伴しなくなることによって,当該行動の自発頻度が減少し随伴前 のレベルに戻る消去(extinction).[補注4].
(4)正の強化刺激の除去が随伴することによって当該行動の自発頻度が減少または 低頻度を保つ“罰(punishment)”.
(5)負の強化刺激の出現が随伴することによって当該行動の自発頻度が減少または 低頻度を保つ別のタイプの“罰”.
【6】1次強化刺激(primary reinforcer)と条件性強化刺激(conditioned reinforcer; あるいは2次強化刺激secondary reinforcer)
 強化刺激には,正,負の2種類がある.個体の生存や種の繁殖に有益は刺激は正の1次強化刺激となり,有害な刺激は負の1次強化刺激となりやすい.しかし,最終的には,それが行動の結果としてどのような効果をもつかによって区別される.
 経験をつうじて正または負の強化刺激として機能するようになった刺激のことを条件性強化刺激という.条件性強化刺激は,人間行動の予測と制御にとってきわめて重要である.金銭,他者からの注視,勲章,社会的地位,景品と交換できるスタンプなど,人間社会は条件性強化刺激に満ちあふれているからである.
【7】弁別刺激(discriminative stimulus)
 オペラント行動の自発の手掛かりとなる刺激のことを弁別刺激という.
【8】行動変容の実践
 特定のオペラント行動を変えようと思ったら,行動そのものではなく,行動の結果を変えなければならない.つまり,その行動自体の強化随伴性を変えるか,そのオペラント行動と相関(あるいは競合)する別のオペラント行動の強化随伴性を変えなければならない.
【9】理想社会の実現
 生活体にとって最も好ましい環境は,正の強化随伴性によってのみコントロールされる世界である.“行動し,その結果として正の強化をうける権利”は,人間の最大の権利の1つである.
 いっぽう,負の強化刺激によるコントロール(罰による制御)は生活体に種々の望ましくない影響を与える.罰なき社会の探究こそ幸福の探究の中心である.
 
 つぎに,以上の9つの項目に関して,筆者の解釈と主張を述べる.
 
 【1】に関して重要な点は,行動分析学があくまで人間理解をめざす科学の一分野にすぎないということである.決して,人間理解を可能にする唯一無二の科学であるなどとは言っていない.たとえば,“人間はどうやって色を見分けるのか”とか“右と左の大脳半球にはどのような機能的差違があるのか”といった問いかけは,“行動の予測と制御”という目的の対象外であり,神経生理学などの別の方法で解明されなければならない.また,文学や宗教,美術や音楽など,自然科学的な方法以外による人間理解を無意味であるとも言っていない.
 次に“予測と制御”の意味であるが,これはあくまで,“事後解釈や循環論法(同語反復)に陥らない”,“常に検証の網にかかるように理論を構築する”という科学的な態度を表明したものと考えるべきであろう[補注5].天気予報や競馬の予想のように予測精度を高めることを究極の目的とするものではなく,また,支配者の都合のよいように世論を制御することを目的とするものでは決してない.
 それでは,じっさいの“予測”とはどの程度のことを言うのであろうか.長谷川(1992)は,“比較的自由に,あるいはなるべく予想されないように0〜9の数字を選ぶ行動”において,おおむね60%〜75%程度の的中率で次の選択内容を予測できることを示した.この的中率は,予測方略の改善によって今後多少は高められる可能性があるが,100%まで高められるかどうかは疑問である.日常生活場面における行動の予測ということになると,さらに漠然としたものにならざるをえない.おそらく“Aという条件のもとでは行動Bが生じやすい”といった形の確率的な予測に留まることになるものと思う.というのは,日常生活場面における行動には,無限に近い数の外部要因が影響を及ぼしており,しかもそれらは,個体から独立して刻々と変化しているからである[補注6].
 “行動の制御”ということに関して,さらに2つほど補足しておこう.
 まず,行動分析学は,他の科学一般と同様,その使い方を誤ると人類に多大な損害を与えかねない性質をもっている.たとえば,行動分析学の一分野である応用行動分析学は,“応用行動分析の目的は,操作可能な環境を整備することによって,社会的に役立つ行動を形成,維持し,社会的に問題のある行動を減少させることにある.”(出口, 1988)というように目的を設定しているが,“社会的に役立つ行動”とか“社会的に問題のある行動”がどのような基準に基づいて判別されるのかについては慎重な対処が必要であり,使い方を誤れば専制支配の道具と化す危険性をひめている.
 第2に,“行動の制御”には,環境変数を積極的に操作してみるという研究姿勢が含まれている.ジュース等の空缶を所かまわず投捨てるという社会問題を分析する場合を例にとりあげよう.行動分析学者ならば,適切な実験計画に基づいて,空缶回収行動に何らかの強化刺激を随伴させたり除去したりして,有効な強化刺激の発見につとめるだろう.決して単なる“美化意識の調査”のような現状把握には終わることはない.独立変数を実験的に操作するという点が,行動分析学のアプローチの最大の特徴である.
 
【2】では,行動が機能的に定義されるという点が重要である.対象とする行動の同定にあたって,同一の筋肉が使われているかどうかとか,同一の神経系が関与しているかどうか,といった点は必要条件ではない.たとえば,ボタンを押す際に,右の人差指で押す場合と左の親指で押す場合では関与する筋肉や神経系は異なるが,機能的には同一の反応と見なされる.いっぽう,子供が新しいランドセルを背負って歩くという行動を例としよう.その行動が,家の回りをはしゃぎ回る行動として生じる場合と,小学校へ登校する時の行動として生じる場合では,“背負って歩く”という運動形態には変わりはない.しかし観察や実験操作を繰り返していけば,両者は機能的に異なることが判明し,結果的に異質の行動として定義されることになるだろう.
 こうした機能的な定義はしばしば忘れられ,誤解の原因となる.デシ(1980, p.8)を引用してみよう.
 
“(略)...一人の人がある日,たまたま下を向いて歩いていたとき,路上に10ドル紙幣が落ちているのを見つけたとする.このことがあってから,彼は以前よりも,はるかに路上に視線を落として歩くことが多くなった.この行動を行動主義的に解釈すれば,つぎのようになるであろう.すなわち,下を向いて歩くという反応は10ドルによって強化され,その結果,その反応が以前よりも一層頻繁に生起するようになったのだ,と.この人は,そのような行動をとることを決意しているわけではない.それは,刺激(たとえば,路の存在など)と反応(すなわち,下を向いて歩くこと)との連合が強化されたがゆえに,たまたま生じたことだとされるのである.一方,認知論的解釈によれば,当人は金銭の価値を知っており,10ドル紙幣を発見したという事実のゆえに,もっと路上を注意して歩けば,お金を拾うことがもっと多くなるかもしれないと判断することになるであろう.したがって,彼は,以前よりも路上に注意して歩くことを自ら決意し,この決意に従ってその行動が生じているのだと.”
 この例では,“下を向いて歩く”反応が強化された,と記されているが,これは筋肉の動きによる定義であって機能的定義とは言えない.この事例は,行動分析学の正しい理解に基けば,“路上において10ドル紙幣をみつけたという経験ののち,路上を探索する行動[補注7]の生起頻度が増加した”という記述で事足りる.次の【3】で述べるが,この場合,“もっと路上を注意して歩けば,お金を拾うことがもっと多くなるかもしれないとの判断”があったかどうかは検討の対象にはならない.そのような問題に研究のエネルギーを注ぐかわりに,行動分析学は,次の課題として,路上における10ドル紙幣の発見確率を操作し,それに伴なって探索行動の生起頻度やパターンがどのように変わるかを検討するであろう.
 機能的に定義された行動と行動の量的な指標とは同一ではない.いま述べた例で言えば,探索行動の生起頻度はなんらかの客観的な指標で測定される必要がある.その1つとして,“顔を下に向ける”という筋肉の動きをカウントすることはありうる.しかし,“顔を下に向ける”が唯一の指標とは限らない.歩くスピード,歩く軌跡上のカーブの数,眼鏡の着用率などが,より妥当な指標になるかもしれない.いずれにしても,研究の対象は“顔を下に向ける”という筋肉運動ではなく,あくまで探索行動であることを忘れてはならない.
 
 【3】に関して,行動分析学があいまいな媒介変数による説明を排除するのは,それが,行動の予測と制御にとって何らプラスにならないばかりか,研究のエネルギーの無駄づかいになると考えるからである[補注8].
 行動の予測と制御という目的以外で媒介変数やモデルを考えることについては,門外漢である行動分析学は肯定も否定もしない.例えば神経生理学の分野では,未知の神経機構の存在の発見を促すような媒介変数やモデルには必要価値があるだろう.また例えば,コンピュータを用いて人間(の特定の行動)と同じことができる機械を作ろうとする際に,制御プログラムの構築に役立つモデルがあれば,それも有用であろう.
 行動と予測と制御という目的においても,もし予測や制御に役立つような媒介変数やモデルがあるならば,それを否定する理由はない.しかし,現実には,それらは,予測や制御の道具となる前の段階で,多くの検証を必要とする.研究のエネルギーをそれらの検証にあてることが無駄にならぬよう,慎重な取り組みが要求されよう.
 ところで,外在する環境変数と,その影響をうける行動は必ずしも時間的に接近しているとは限らない.ある種の刺激のセットを経験することが,その時点では何ら顕著な行動変容をもたらさないものの,数時間後あるいは数日後の行動に影響を及ぼすということもありうる.しかし,こうした事実があるからといって,直ちに記憶過程が必要であるとは断言できない.数時間後や数日後の行動の変容が,刺激セットの内容と経過時間の情報だけで完全に記述できるならば,その間の記憶という仲介変数はかならずしも必要がないことになる.
 
 【4】は,行動分析学が“はじめに反応ありき”という立場をとり,“オペラント反応がなぜ生じるのか”という問いかけは研究の対象としないことを意味している.つまり行動分析学では,単一のオペラント反応の出現自体はあくまで事実として受け入れ,動物の属性のようなものとして扱う.我々は,ふつう,鳥に羽根があること,魚に尾ひれがあることをあたりまえの事実として受け入れる.鳥が飛ぶ,魚が泳ぐというオペラント反応を自発することは,それらと何ら変わらない事実である.
 もちろん,“オペラント反応がなぜ生じるのか”という問いかけは決して解答不能な問題ではない.しかしそれに答えるためには別のレベルでの研究が必要である.例えば,脳に電極を入れて特定部位を刺激すれば,オペラント反応の自発を指令する中枢がわかるかもしれない.また,動物の形態的特徴と同様,進化論の道筋の中での形成過程を推測することもできるだろう[補注9].
 
 【5】に述べた強化随伴性の発見はスキナーの最大の業績であり,じっさい,スキナー自身,“先生は御自分のなさった心理学への最大の貢献は何だとお考えになりますか”という弟子の問いに,“強化随伴性の概念です”と答えたことがあるという(Lagmay, 1990).
 さて,強化随伴性ついては,まず,何が定義で,何が予測できるのか(=何が行動を説明するのか)ということをはっきりさせておく必要がある.例えば,“あるオペラント行動Xにある刺激Aを随伴させたらその行動が増加した”という事実が1例だけあったとしよう.定義から刺激Aは正の強化刺激ということになる.この場合,“正の強化刺激を随伴させたから行動が増加した”という言明は説明にはなっていない.刺激Aが正の強化刺激であることがわかったのは行動が増加したという事実からであり,循環論法に陥るからである.
 それでは,この事実から何が予測できるのか.それは,この個体にとって,刺激Aは,別のオペラント行動Yを強化する可能性があるという点である.さらに,刺激Aが強化刺激であることがわかった場合,その強度や確率を変化させた場合に生じる行動の変容は,強化の量や確率に関する一般的な法則に従うであろうと予測できる.このような議論は,かつてMeehl(1950)が,Thorndike(1913)の効果の法則について論じた内容と共通している.Meehl(1950)の主張は“ある状況において強化が別の状況におけるのと同様に作用することが確実ならば,強化は転移可能性をもち,従って効果の法則は循環論とならない”というものであったが,強化随伴性が上のような形で転移可能性をもつことはすでに確認されている.つまり,“操作AによりXという行動変容が生じた”という事実についての体系的記述は,未知の行動についての予測と制御の可能性を十分に内包しているのである.
 
 【6】に述べたように,強化刺激はそれが行動の結果としてどのような効果をもつかによって定義される.このことは,同じ事象の随伴が,正の強化,罰のどちらにもなりうることを示唆している.たとえば,授業中に騒ぐ子供に対して“叱る”という事象を随伴させることはふつうは罰として作用する.しかし,周囲の注視をうけることで,かえって騒ぐ行為が強化される場合もありうるのである.また,Premack(1962; 1965; 1971)によれば,特定の行動可能事象は,より低頻度で自発される行動に随伴させた場合には正の強化をもたらすが,より高頻度で自発される行動に随伴させた場合には罰として作用する.これも強化の相対性をしめす典型と言えよう.
 強化刺激は決して餌,飴玉,金銭に限ったものではない.Skinnerみずからが“ヒトという種おそらくすべての種の重要な遺伝的特性の一つに,成功すること自体が強化的であるということがあります”と述べているように(スキナー, 1990),我々をとりまく強化刺激は物質的な報酬ばかりではない.金銭を一切求めない奉仕活動も,あるいは幾何の問題を解く行動も,すべて強化随伴性によって維持されていることに変わりはない.前者では,社会的貢献の成果や周囲の微笑が,後者では問題の解決そのものが強化刺激として作用しているだけのことである.
 
 【7】の弁別刺激の問題は,反応の自発と誘発を区別するうえで重要である.【4】に述べたように,オペラント行動そのものは刺激によっては誘発されない.
しかし,種々の環境下で強化随伴性が異なると,それに対応して自発頻度も異なるようになる.この場合の自発頻度を変える手掛かりとなる刺激のことを弁別刺激と呼ぶ.より厳密に言えば,特定環境内において,刺激Aが提示されている時といない時でオペラント反応Xに対する強化確率が異なり,かつ結果的に,刺激Aの提示時と非提示時で反応Xの自発頻度が異なるように行動変容が生じた場合,刺激Aは弁別刺激と呼ばれる.
 弁別刺激は,反応を誘発こそしないものの,オペラント反応の自発確率を大きく左右する.そこで,行動の予測と制御という目的にとっては,何が弁別刺激となっているのか,その弁別刺激はどこまで手掛かりとして機能しているのかを知ることがきわめて大切な課題となる.
 
 【8】は,現実の世界に密接に関係している.随伴性を知っていようと知っていまいと,それに気づいていようといまいと,現実の社会における実効ある処置というものは,すべて強化随伴性の強力な操作に基づいていることがわかるはずだ.
 典型的な例は,経済政策であろう.賢明な政治家は,“もっと物を消費しよう”,“コメ以外の作物を作ろう”などといったスローガンだけで経済活動を制御できるとは考えていない.公定歩合の操作(=下げる→設備投資活動の強化,上げる→貯蓄活動の強化),減税(=消費活動の強化),補助金の交付(=特定政策に合致した行動の強化)というように,実効を伴う政策はすべて強化随伴性の配合と言ってよいだろう.いっぽう,抽象的なスローガンばかりで強化随伴性が不十分な政策は,いっこうに改善されない.“政治家の自覚”とか“政治倫理の確立”というスローガンだけで汚職を追放しようとする政策がそのよい例である.
 強化随伴性を正しく設定することは教育場面や,個人行動の改善においてきわめて重要である.“自覚”,“やる気”,“根性”,“思いやり”などといった抽象的なスローガンに頼っている限り,真の行動改善は期待されない(東正, 1983; 1987参照).
 
 【9】は,科学的な結論というよりもスキナーの夢を述べたものと言えよう.
 スキナーは種々の著作や論文のなかで,罰の弊害を再三再四指摘してきた(例えばSkinner, 1971; エヴァンズ, 1972).1979年に来日し,慶応義塾大学で名誉学位を授与されたときに行なった記念講演のタイトルも“The non-punitive society罰なき社会”となっている(スキナー, 1990).
 ここでいう罰的制御とは,行動を禁止する罰ではなく,むしろ負の強化によるオペラント行動の増加,維持をめざす制御のことである.罰は生物的に有害な事象を伴うため,しばしば,情動的な異常や逃避行動をひきおこす.スキナーは,罰の最も顕著な例として,飢餓,病気,重労働をあげている(スキナー, 1990).彼はまた,正の強化によって制御されている行動は“自由な振る舞い”で“したいことをしている”と感じられ,罰によって制御されている行動は“強制された行動”で“しなければならない”と感じることを指摘している(Skinner,1987; 1990)
 それでヒトはなぜ罰が使われるのだろうか.その最大の理由は,罰の行使者にとって,“罰する”という行動が“正の強化を与える”という行動よりもはるかに強化的だからである.
 Tversky & Kahneman(1974)は,“回帰についての誤解”という章で,飛行機の操縦訓練を例に,罰を与える行動のほうが賞賛を与える行動より良い結果が随伴しやすいという可能性を指摘している.つまり,訓練受講生がとても上手に着陸できた時に誉めると次の試行では下手になることが多く,反対に下手な着陸をした時にこっぴどくこきおろすと次の試行で改善が見られることが多い.その結果,指導教官は,“言語的な賞賛は有害であり,言語的な罰は有用である”と思い込んでしまうというものである.このように,強化の随伴性を原因として,罰は有用であるとの思い込みが形成される可能性を図式化してみよう.
 


図1

 
 図1は,上述の着陸訓練でも,子供の教育場面でも,スポーツの練習場面でもよいが,ある学習者が課題を達成していく過程を示した模式図である.この学習者の上達度は,理論的には図中の右上がりの破線のグラフを描くものと仮定しよう.しかし,現実には,種々のノイズが入り込むために,実際の成績は,図中の右上がりの波動状の曲線を描くものとする.こうしたケースで,指導者は,どのような状態の時に学習者を叱り,どのような時には誉めるだろうか.ふつう,賞賛は,ふだんよりよくできた時にに与えられる.これはグラフのA,C,Eの時点である.いっぽう,叱るのは,ふだんよりできなかった時,つまりB,D,Fの時点であろう.もし,誉めたり叱ったりする行為が本当はあまりききめがなかった場合[補注10],A,C,Eのような理論値より上への逸脱が最大に達したあとでは成績は低下しやすく,B,D,Fのように理論値より下への逸脱が最大に達したあとでは成績は上昇しやすい.したがって,指導者の側からみるならば,“叱ったあとでは成績が上昇するが,誉めたあとでは悪くなりやすい”という結果が随伴しやすく,結果的に“叱る”行動ばかりが強化されていくのである.
 このほか,罰を回避するためのオペラント行動は消去されにくい,正の強化に基づく行動変容は効果があらわれるまでに時間がかかる,などの事実も罰の使用を高めている理由であろう[補注11].
 ところで,【9】は,決して“罰さえなくなれば人類は幸せになる”と言っているわけではない.理想的な社会はあくまで,“行動し,正の強化をうける権利が守られた社会”であって,動物園の檻の中のように,“何もしなくても欲しいものがたやすく手に入るような社会”ではない[補注12].
 “行動し,正の強化をうける権利”は,高度に機械化された現在における労働“意欲”の低下問題を考える上で重要である.スキナー(1990)が指摘しているように,産業革命以前の職人は,労働に対して最終生産物の完成という強化を受ける権利を持っていた.しかし,機械化がすすむにつれて,仕事は細分化され,仕事の結果は最終生産物ではなく単なる金銭によってしか強化されなくなってきた.労働が真の生きがいになるためには,労働に対して労働そのものがもたらした“完成”が随伴するような工夫が必要であろう[補注13].
 “行動する権利”は,高齢化社会を考えるうえでも重要である.病気が重くなって寝たきりにならない限り,最大限に体を動かしその結果を享受できるようにしなければならない.高齢者に対する福祉とは,何でも無料化にしたり年金を引き上げたりすることでは決して達成されない.むしろ,高齢者がいつでも自助行動をできるような高齢者向きの職場を保証し,どのような小さな仕事に対しても“成功”という結果が随伴するような環境を整備することが大切である.
 
3.今後の課題
 スキナーの死によって,もともと一枚岩ではなかった行動分析学の方法論は今後ますます多様化し,場合によっては空中分解を起こしかねない現状にあるように思う.かつて,名著『オペラント心理学入門』(レイノルズ, 1978)を著わしたG.S.レイノルズは,佐藤方哉氏にあてた手紙の中で,“ところで,今日,合衆国ではSkinnerの行動主義はどんな状況にあるのでしょうか.私の感じでは,その影響力は急速に衰えつつあるようです.新しい世代の大学院生たちは実験的行動分析というよりはずっとHullに近い理論志向でグループ指向の研究に取り組んでいます,JEAB[補注14]でさえももはや持ち堪えられなくなっています.”と述べ(佐藤, 1987),スキナー学派の内部的な問題を指摘した.また,アムゼル(1992)は,“なぜ急進的行動主義者が認知主義者になったのか”という表題で,スキナーの弟子の一部に認知主義的な傾向が生じていることを指摘している.
 たしかに行動分析学の研究には問題点がないわけではない.たとえば,行動の予測と制御といっても,モデル的な行動,シンボル的な行動の予測・制御しかできないのでは意味がない.もし,多くの行動分析学者が実験室内に閉じ込もってモデルの構築のみに専念するような事態になれば,それらの研究は内部的には評価されるかもしれないが,他の学問領域からはまったく無視されるようになるだろう.その結果,行動分析学の一般的な魅力は失われ,後継者を離反させることになるだろう.また,種々の行動現象を行動分析学の用語に翻訳し直しただけでは,何の発見も創造もない.さらに,認知主義,精神主義を批判するだけでは,しょせん,“おまえのやっていることは無駄な努力だ”という消極的な否定にしかおわらない.
 以上をふまえ,行動分析学の主張が部分的にせよ多くの心理学者に正しく理解され受け入れられていくためにはどのようにしていけばよいのだろうか.ここでは,紙数の関係ですべてを論じるわけにはいかない.重要と思われる4点のみをあげておく.
(1)誤解や偏見を解消すること
 スキナーの思想を土台とする行動分析学の諸研究は,単に知られていないばかりでなく,しばしば誤解され,また偏見をもって受け止められている.こうした誤解や偏見に対しては,スキナー自身(Skinner, 1974)のほか,数々の行動分析学者(例えば,東正, 1983; 浅野, 1990)から反論が寄せられているものの,一般にはじゅうぶんに伝えられていないように思う.なお,これらの誤解の内容,特に認知心理学者による種々の誤解に対する考察については本稿の続編において詳しく論じる予定である.
(2)行動分析学の内部的な諸問題の解決.
 上にも述べたように,行動分析学には種々の内部的な問題がある.紙数の関係で,2つだけ問題を指摘すると,まず1つの問題は,行動の量的予測のためのモデルづくりに専念する人々が,かなりの比率にのぼってきているという点である(例えば,Herrnstein & Vaughan, 1980; Myerson & Miezin, 1980; Vaughan, 1985; Myerson & Hale, 1988; Staddon & Horner, 1989).じっさい,1990年にJacksonville州立大学で開催された行動ダイナミックス・コンファレンス[補注15]という行動分析学者の集まりに参列した久保田(1990)は,会期中に最も多く聞いた単語はbehaviorではなくequationという言葉であったろうと述べている.こうしたモデルは,基本的には観察可能な刺激,反応,時間などを変数とするものであり,実体のない擬似生理的なモデルや未熟な媒介変数を用いたモデルとは本質的に異なっている.その功罪についてここで細かく論じる余裕はないが,これらの研究は,ともすれば,現実の行動から遊離したモデル検証のための実験のくり返しに埋没する危険性をはらんでいるように思う.
 第2の問題は,行動分析学が,新しい行動の習得過程をどこまで分析できるかということである.強化随伴性による行動の説明は,現在までのところ,ほとんどが行動の遂行過程を扱っている.この意味では,強化随伴性の考え方は,すでに獲得している行動に対する動機づけの方法を,動機づけ概念のかわりに強化随伴性概念を導入して体系化しただけだ,と言っても過言ではない[補注16].かつてスキナーが提唱したプログラム学習も,基本的には,“やる気”を出させるための技法であって,最も速く習得させるためにはどのような順序で教材を配列すればよいか,といった問題に関しては必ずしも指導的役割を果たしていないように思う[補注17].Branch(1977)は,かつて行動分析学が習得過程の分野であまり貢献していない現状を認めた上で,習得過程が行動分析学の研究対象になりうることを主張した.しかし,その後15年を経過した現在に至っても,未だじゅうぶんに取り組まれていない現状にあると思う.
(3)一般社会における諸問題を改善するための積極的な働きかけ.
 行動分析学にとって最も必要なことの1つは,日常生活上の種々の問題行動に対して適切な解決策を提言し,かつ,望ましい強化随伴性をできうる限り豊富に取り込んだ社会の実現に向けて種々の提言を行なうことにある[補注18].
 行動そのものには,基礎的行動とか応用的行動とか臨床的行動とかいった区別はない.行動を研究対象とする心理学者は,自分の研究対象を実験手法や特定被験動物によって限定したり基礎とか応用とかの壁をつくることなく,あくまで行動の機能的同一性に基づいて照準を定めるべきであると思う.
 行動分析学が最も大きく貢献できる領域は教育分野であろう.【8】に述べたように,“自覚”,“やる気”,“根性”,“思いやり”などといった,抽象的なスローガンに頼っている限り,行動の改善は期待されない.何をすればよいのかということについて,具体的な方法を積極的に提起する必要がある.東(1991)は,“行動教育の3つの主張”として,次の3点を提唱している.これらの主張は,行動分析学が教育分野に貢献していく際の基本的指針となるものである.
 
  主張1:子供をありのままにとらえよう.
  主張2:この世に指導不可能な子どもはいない.できないとすれば,それはわたした      ちが,どのように指導したらいいか,知らないからである.
  主張3:何もしないのは,加害と同じである.良くなる子どもを良くしないのは,犯      罪である.
 
 罰的な制御を正の強化随伴性による制御に代えるための提言も積極的に行なっていく必要がある.たとえば,罰として便所掃除をさせるのではなく,(掃除によって実現する)清潔な状態が強化刺激となるように“行動とその結果”を明白に提示する必要がある.また,環境保護運動は,自然破壊という罰的な刺激から逃れるために行なう限り,必ず壁につきあたる.それらを発展させるためには,素朴な自然に親しむ行動が自然自体が与えてくれる正の強化刺激によって強化されるような工夫が必要である[補注19].平和運動もまた同様である.戦争という負の強化刺激は,平和が続くほど現実性を失う.戦争の悲惨さを映画や展示会で訴える努力も大切であるが,国際的な協力活動(つまり戦争と競合関係にある活動)を積極的に強化していくことのほうが効果的であろう.
(4)真の自由を取り戻すための提言
 スキナーの自由についての思想は,しばしば誤解されており,極端な例では,スキナーの理想とする社会は,独裁者に管理された自由のない社会であるかのような偏見がある(たとえば,Machan, 1974).しかし,実際は逆である.スキナーが自由を奪ったのではない.われわれが自由だと思い込んでいる世界がじつは強化随伴性によって制御されているのだ,ということに現実に気づかせようとしただけなのだ.
 日本のように経済活動の活性化なしには存立しえない社会では,お金を使う行動の自発頻度が高まるような強化随伴性が巧みに設定されている.たとえば,心のゆとり[補注20]を与えるためのリゾート構想と言っても,実際に検討されているのはいかにしてお金を使わせる行動を強化し,その受け皿となるべき施設を作るかということである.つまり,テーマパークに行ったり,ホテルで高級料理を食べマリンスポーツで楽しむ行動が強化される一方,無人島で砂浜の動物とたわむれながら1週間暮らすとか,ただ山に登って頂上で昼寝をするといった行動は強化されない.子供の生活の中でも,テレビゲームをしたりハイテク遊園地で遊ぶことには豊富な強化随伴性が用意されている一方,友達と将棋をさすとか,自然公園で植物の観察をするといった行動はあまり強化されない.要するに,経済の活性化に貢献するような,お金を使うレジャーほど推奨されを選択されるように制御されているのが現実である.
 もちろん,経済の活性化なしには我々の物質的な幸福は保証されない.しかし,子供の遊びから大人のリゾートに至るまで,ほんとうの“楽しさ”を“自由に”求める権利が行使されているのか,もういちど我々をとりまく強化随伴性の数々に目をむける必要があるように思う.特に,人類が長年にもわたって享受してきた“素朴な自然にふれあうことがもたらす強化随伴性”や“伝統的な行事に参加することがもたらす強化随伴性”が,わずか数十年の歴史しかもたない,経済活性化のための人工的な強化随伴性の集団によって駆逐されてよいものかどうか,検討していく必要があると思う.
 
 最後に,近年,認知心理学あるいはこれを包括する認知科学が飛躍的に発展した.その中で,もし,スキナーをまったく知らない研究者,モデルを仮定することに何の疑いも持たない研究者が生まれているとしたら事は重大である.もちろんスキナーの考えを100%正しいと考える教条主義は通用しない.しかし,スキナーを知らないまま,認知主義を常識のように受け入れ,2次資料や耳学問だけで行動主義を悪と決めつけてしまう心理学者はもっとたちがわるい[補注21].スキナーの思想を否定するにせよ,まずスキナーの原典にあたり,行動とは何か,モデルや媒介変数を用いることにはどのような危険が潜んでいるのか,といった問題について一度は自分の研究姿勢を点検する必要がある.それを怠る者は,スキナー以前の研究者と同じ誤りをおかし,わずか1つの反例ですべてが水の泡に帰すようなモデルの構築と検証のために人生の大半を投入する泥沼にはまりかねないことを警告しておく.


補注

補注1:ここでいう行動分析学とは,スキナーの徹底的行動主義(radical behaviorism)を土台とする実験的行動分析(experimental analysis of behavior),応用行動分析(applied behavior analysis),及び一般社会における望ましい生活環境を整備するための行動主義的な諸提言を含むものとする.

補注2:“respondent”の発音は,“レスポンデント”よりは“リスポンデント”に近い.東正(1983; 1987)は,一貫して“リスポンデント”と呼んでいるが,一般には学術用語集(文部省, 1986)を含め“レスポンデント”の訳語が定着している.本稿でも,“レスポンデント”と呼ぶことにする.

補注3:随伴性は“contingency”の訳語であるが,日本語としてはまったく定着していない.さいきん佐藤(1990)は,スキナー追悼のための特別寄稿の中で“随伴性とは縁である”と述べている.“縁”という言葉は多分に仏教的であるが,“随伴性”よりは日本人に理解しやすい訳語であると思う.そのうちに,訳語の改定が行われることを期待したい.このほか,“conditioning”の訳語として“条件づけ”が最適かどうかも検討する必要があるだろう.たとえば,“air conditioner”が“空調”と訳されているように,“conditioning”には“調和”とか“調節”という意味があり,検討の余地がある.

補注4:消去については,単に“強化刺激の随伴を中止する”という実験操作として定義される場合と,その結果として生じる行動変容を含めて定義される場合があり,慎重な区別が必要である.

補注5:ここでいう事後解釈とは,すでに現象が起こったあとで,自分の“理論”のなかからその現象に都合のよい部分だけを意図的に抜き出して,こじつけ的な“説明”を試みることである.血液型人間「学」などの非科学的な俗説では,事後解釈が多用されている(長谷川, 1987参照).また,循環論法(同語反復)とは,観測事実を別の用語で置き換えただけで説明的な印象を与えることをいう.

補注6:“量子力学にパラドックスはない”とする豊沢(1992)の議論は,人間行動の予測問題に関して興味深い示唆を与えている.それによれば,“...(略)...宇宙のあらゆる部分は,過去における直接・間接の相互作用により,現在も相関の糸で結ばれている.この全宇宙的相関にもかかわらず,各部分の状態は統計演算子で記述できる....(中途略)...なぜ,全宇宙的相関と局所性とが共存可能なのか.それは法則が統計的だからである,局所性と統計性は自然法則の互いに切り離せない両面なのである....(以下略)”という.単なるアナロジーにすぎないかもしれないが,局所性を個々人に置き換えてみると,統計性の意味がわかってくるように思う.

補注7:ここで,探索行動というオペラント反応の集合体が経験によって合成されたものなのか,生得的に組合わせられたものなのかについても検討が必要であろう.いずれにしても,その中には“下を向く”という反応も含まれているが,行動を機能的に定義する際には,要素的な反応を越えたもっと全体的な観点が必要であると思う.

補注8:心理療法全般においても,あいまいな媒介変数による説明がないかどうか厳重にチェックする必要があると思う.心理療法の最終的な価値は,クライエントに対してどのような働きかけをするのか(聞き役にまわるのも1つの働きかけである),その働きかけによってクライエントの行動のどこが変容したか,の2点によって決まる.媒介変数やモデルが必要かどうかは,それが働きかけの内容を決定する上で有用かどうかだけにかかっている.

補注9:反応自体は骨格形態などと異なって化石にならないため,分析は容易ではないだろう.しかし,足跡の化石などは反応の化石と言ってもよいだろう.また,骨格の特徴,その当時の動植物の分布などから,当該動物がどのようなオペラント行動を自発していたのかを類推することは可能であろう.

補注10:誉めたり叱ったりする行為に顕著な強化効果がある場合は,誉めたあとでは多少成績が上がり,叱ったあとでは多少成績が下がる現象が認められるかもしれない.

補注11:バウァー・ヒルガード(1988, p.224)は,スキナー及び行動分析学者の罰に対する考えが年が経つにつれて改められてきていると指摘している.

補注12:スキナーはエヴァンズとの対談の中で,“各人の必要に応じて各人に”というカール・マルクスの原理が間違っていること,また大切なことは“人が必要なものを手に入れた時,その人が何をしていたか”であること,ロシアの労働者の生産性の低さが強化随伴性の設定の誤りにあることを指摘した(エヴァンズ, 1972).四半世紀ののち,指摘された問題がソ連邦の崩壊という現実となって表われたことはまことに興味深い.

補注13:発展途上国への援助,少数民族の保護などについても同じことが言える.単に,金銭や物資を供与したり,衣食住を保証するだけでは真の援助とは言えない.“行動し,正の強化をうける権利”を保護,拡大するような配慮が必要である.

補注14:Journal of the Experimental Analysis of Behaviorの略.

補注15:行動ダイナミックスBehavior Dynamicsについては,JEAB(補注7参照)1992年57巻第3号に特集が組まれているので参照されたい.

補注16:もちろん,行動ダイナミックスに関する諸モデルでは,選択行動における選好の発達過程も研究の対象としているが,これは,すでに獲得している行動の変容を扱ったものであって,車の運転のように,いくつかの要素的なオペラント反応が組み合わさって複雑な事態に対処できるようになるといった,“新しい行動の獲得”までは対象としていない.

補注17:スキナー(1992)は,プログラム学習に関して次のように述べている.“プログラム学習の主な狙いの一つは生徒が成功する機会を増やすということにあります.これは教材を小刻みの段階に分解し,そのそれぞれが容易に達成できるようにすることにより可能です....(中途略)...よいプログラムのもう一つの特徴は生徒の進歩が目に見えることです....(以下略)”.プログラム学習に関するこれらの特徴は,“学習に取り組む”という行動に対して“正答”という強化刺激を小刻みに随伴させ,その行動の維持,増加させる点にある.どのような配列で教材を小刻みの段階に分解すればよいかは,別の問題である.

補注18:佐藤(1976, p.240)はこの点に関して次のように述べているが,その後15年が経過しても,行動分析学者は必ずしも積極的な提案を行なっていないように思う.
“<実験的行動分析>を信奉する心理学徒に課せられたこれからの課題は,...【中途略】...もう一つ実践的側面といったものがあるように思います.それは<実験的行動分析>の枠組に立って,「人類の危機」といわれる今日の状況を分析し,よりよい強化随伴性をととのえることにより人類が生き続けることができるための提案を,機会あるごとに積極的に行なうということです.”
補注19:例えば,環境保護の観点からゴルフ場の建設に反対する場合,罰的制御に根ざした単なる反対運動では限界がある.究極的には,ゴルフと競合するレジャーを開拓し,ゴルフ場の建設という行動が強化されない(=赤字になる)状況を作り出す必要があるだろう.たとえば,ふれあい農園,共用花壇,キャンプ場などで楽しむ人が増えれば,必然的にゴルフ場は赤字となり,自然破壊は防止できる.

補注20:総理府が1992年9月6日に発表した“国民生活に関する世論調査”によれば,将来の生活について“物の豊かさより,心の豊かさを重視する”と答えた人は,昨年の52.0%から57.2%に増加した(朝日新聞1992年9月7日朝刊による).ここで問題となるのは,回答者がどのような行動(とその結果)を心の豊かさと位置づけているのか,その位置づけに何が影響を与えているのかということである.

補注21:佐伯(1988)は『行動主義−−認知科学との「和解」は可能か−−』と題して,実質的にはスキナーの徹底的行動主義に対する攻撃を行なっている.この論文については機会を改めて指摘するが,ワトソンとの混同,S−R理論との混同など種々の誤解を含んでいる.しかし,この論文が掲載された『人工知能学会誌』の読者は,おそらくスキナーの著書を1冊も読んだことのない“ナイーブ”な認知科学者ばかりであろう.こうした一方的な主張だけをinputされた人々が,スキナーの原著にあたることなく,行動分析学に対する食わず嫌いになるとしたら,事は重大である.なお,奇妙なことに,佐伯氏自身,この論文ではスキナーの原著を1冊も引用していない.認知科学の第一人者である佐伯氏の影響力を考えると,2次資料や耳学問に頼った(かもしれない)攻撃ではなく,スキナーの原著に基づいたきちっとした攻撃をお願いしたいものである.

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