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2004年度卒論へのヒント

(2005年2月21日開設)



毎日執筆しているWeb日記:じぶん更新日記で取り上げたコメントです。一般性があり教育上公表する意義があると思われる点に限った内容となっています。

【思ったこと】
_50126(水)[心理]卒論へのヒント(1)引用の難しさ

 本年度の卒論提出締切(1/31)まであと4〜5日を残すのみとなった。ゼミの学生からは毎日のように下書ファイルが送られてくるが、毎年、指導で手こずるのが文献の引用のしかたである。

 序論下書の中には、文献を殆ど引用せず、なぜそのことに関心を持ったのかという随筆のようなものを述べているものがある。Web日記ならそれで十分だが、論文として書く以上は、なぜそれが研究対象として重要なのか、そのことについて過去にどういう研究があったのか、文献を引用しながら、「研究の目的」へと絞り込んでいかなければならない。このあたりが難しい。

 いっぽう、引用文献数は多いが、単に言葉を借用して繋げているだけという下書も見受けられる。例えば、

人間と動物の間には深い繋がりがある(桃太郎、1998)。動物はしばしば、人間の日常生活とは違った世界に我々を導いてくれるものだ(浦島太郎、1997)。本研究は、アニマルセラピーの効用について、以下の5つの視点から実証的な検討を行うことを目的とする。

などという序論があったとしよう(あくまで、仮想の下書)。

 この場合、人間と動物の間に深い繋がりがあるとか、違った世界に導いてくれるということは確かかもしれないが、わざわざ、桃太郎や浦島太郎の文献?を引用しなくても、単に、そういう可能性があるかもしれないと書けば済むこと。研究論文において文献を引用する場合は、単に言葉を借りたり、「こういうこともある」と紹介するのではなく、引用元の研究が今回の研究にどうつながっているのか、関連性を示しておくことが望まれる。




 一口に引用といっても、研究分野や研究目的によって、引用の必然性や引用範囲は大きく異なってくる。

 例えば、ある偉大な研究者の根本思想を紹介し新たな解釈を加えるという論文を書くのであれば、とうぜん、原著からの正確な引用が求められる。分量も多めになるだろう。

 また、何かの対立する主張を比較した上で自分の考えを述べるという場合にも、それぞれの主張者の言葉を正確に引用し、どこが本質的な違いであるのかを明確にしておく必要がある。その際に気をつけなければならないのは、文脈を無視して揚げ足取り的に言葉を抜き出さないことだ。

 そのほか、具体的な調査結果を引用する場合も多い。その際には、まず数値を正確に引用すること、また、調査方法や調査対象、標本数などについて、再現可能な(結果に疑いがあった場合に再調査で検証できること)情報を付加しておくことも必要である。




 ところで、自分の主張を権威づけするだけのために、偉大な研究者の言葉をわざと借りてくるというケースもあるが、これは、科学論文では邪道であろう。但し、短時間の講演、しかも、実証性をあまり重んじないような話題を取り上げる時には有効な話術となる場合がある。例えば
  • 私はAという学者を尊敬している。
  • Aはこれだけ偉大な業績をなしとげている。
  • Aは「○○は××だ」と言っている
  • 私も、○○は××だと思う。
と講演すれば、単に「私は○○は××だと考えます」というよりも主張が権威付けられるのだ。

 テレビ番組など視ていると、何も証拠を挙げずに、エライ人との一致性だけを拠り所に自分の主張を権威づけしている人を見かけることがある。

 少々脱線してしまったが、とにかく、何事も、必然性のある形で、正確に引用しましょう。

【思ったこと】
_50127(木)[心理]卒論へのヒント(2)曖昧表現を避ける

 昨日に続き、卒論に関する話題。

 卒論に限らず、確かな証拠も無いのに断定的な結論を下すのは科学論文とは言えない。しかし、だからと言って

  • 〜であろう
  • 〜のようである
  • 〜といえるだろう
  • 〜といえるかもしれない
というような遠慮がちの表現ばかりに終始するのもよろしくない。断定的表現を避けよというのは、他の可能性についても頭ごなしに否定せず、多角的に検討する必要があるという意味であって、すべてを曖昧にしてよいという意味では決してない。

 このことで思い出すのは、若者におけるぼかし言葉の多用である(2000年5月24日の日記2000年6月11日の日記参照)。そこで言及されていた「ボク的には(わたし的には)」という表現と、上記のような曖昧表現はやや意味合いが違うが(自分は自分という考え方か、主張自体が曖昧なのか)、いずれにせよ、科学論文ではできる限り避けることが望ましいと思う。

 少々ズルイやり方になるが、「〜だろう」という代わりに「〜という可能性が高い」、「〜かもしれない」の代わりに「〜という可能性がある」などと書くと、いくらか論文らしく見えてくる。但しその場合も、どのくらいの可能性があるのか、他にどういう可能性があるのかを明記しておくべきである。



【思ったこと】
_50214(火)[心理]卒論へのヒント(3)卒論試問で思ったこと(1)

 2月14日は終日、卒論試問が行われた。ここでは、来年度卒論生にも参考になるよう、一般性のありそうな感想をいくつか述べておきたいと思う。

 まず、卒論のテーマの選び方であるが、これには大きく分けて2通りある。

 1つは、学術誌の最新号や、最新のリビュー論文、学会の発表抄録集などに目を通し、その中から、いちばん自分の関心の持てそうなテーマを選ぶことである。先行研究の流れが分かり、研究方法もある程度確立されているため、特に大学院進学希望者においては堅実なやり方であると言える。但し、テーマ内容は、研究のための研究になりやすく、現実から遊離し、きわめて狭い学問分野の中での追試、ちょっとしたモデルの改変に終わる恐れがある。
 もう1つは、日常社会の中から一番関心のありそうな問題をみつけてくること。方法はあとから考える。リスクは大きいがこちらのほうがやりがいがある。特に、卒業後に社会に出る人にとっては、こちらのやり方のほうがオススメだ。さまざまな苦労を体験することは、将来似たような困難に直面した時にきっと役に立つはずだ。

 さて、次に今年度の試問の感想。なお、個人情報保護と、一般性を出す必要から、内容の一部は脚色してある。
  1. 実践報告に近い形をとった研究があった。実践報告の場合は、個別の要因操作を行うことは不可能であり、種々の実践のパッケージ全体が成果をあげたのかどうかが問題となる。この場合の成果とは、単に「統計的に有意な差が出た」では済まされない。商品に例えるならば「どれだけ金になるのか」を示す必要がある。仮に実践が失敗に終わっても、「うまくいった人」と「うまくいかなかった人」の見極めについて何らかの発見があれば成功と言える。とにかく、何らかの情報的価値を強調することが大切。単に「こういうことを実践したらこういうふうになりました。やってよかった。参加者も喜んでいます」というだけの報告では、何百、何千もの報告書の1つにすぎず、学術的な成果には繋がらない。ま、そうはいっても、現場の経験を持たない学生が卒論研究という短い期間の中で成果を出すのは困難。実際には「実践報告の練習」レベルにならざるをえない。

  2. 「対人魅力」をテーマにした研究があった。卒論自体は手堅くまとめられており問題は無いが、「はじめに対人魅力ありき」が妥当かどうかについては若干の疑問がある。世の中には「他の人には特段の魅力を感じない」という人だって居るはずだ。「イヤなヤツ」との接触は避けるとしても、ことさらに友人関係は求めず、必要最低限の互助、共存関係を保てばそれでよいという場合、質問紙や面接には答えにくくなるだろう。というか、「魅力」という概念を「相互強化」、「協同行動への強化」といった別の概念に置き換えられないかどうか考えてみる必要もあると思った。

  3. これは他の先生からの指摘であるが、因子分析後の分析は、個々の項目のスコアではなく因子得点をもって分析すべきである。このあたりは、なかなか守られていない。

  4. 最初から概念的枠組みを固定した上で面接調査を行い、その発言をKJ法で分析するという研究があった。しかし、最初から仮説が決まっているのであれば、KJ法を使っても、その枠組みに押し込めて分類するだけであって、新たな仮説生成にはつながらない。こういうケースでは、むしろ、面接を通じて、当該のモデルの作用のメカニズムを明らかにしていくことが大切。

  5. ひいきや自己卑下に関連して、内集団に「自分の大学」、外集団に「近隣の大学」を設定する研究があるが、あまりうまくいかないようだ。大学生にとって、普通、他の大学の学生は単に「別の世界に住んでいる人たち」にすぎず、また自分の大学の学生は単に「周りに居る人たち」にすぎず、それぞれ集団として意識されることはない(←質問で無理やり誘導されれば別だろうが)。大学が意識されるのは、「東大 VS 京大」、「早稲田 vs 慶應」というように、日頃から世間で比較されることの多い場合、もしくは、同じ職場の中で出身大学のことが話題にのぼるような場合に限られていると思う。

【思ったこと】
_50215(水)[心理]卒論へのヒント(3)卒論試問で思ったこと(2)

 2月15日午前も引き続き、卒論試問が行われた。前回に引き続き、来年度卒論生にも参考になるよう、一般性のありそうな感想をいくつか述べておきたいと思う。

  1. 対人葛藤場面における対処法略を、統合、回避、支配、服従、妥協という2次元5スタイルモデルに基づいて分析している研究があった。仮想場面でどの方略をとるかと尋ねれば、何らかの回答を引き出すことができるが、現実場面での対人葛藤はもっと複雑である。まず、ひとくちに「対人葛藤」と言っても、相手との関係の重要度、葛藤の原因(加害者か被害者か外部要因か)、接触頻度はマチマチである。さらに重要な点は、葛藤は瞬間的に解決されるものではなく、時間の流れの中でさまざまなスタイルをとりながら解決(もしくは関係解消)されていくものだ。
  2. 卒論レベルでは重回帰分析によりパスをひくという手法がしばしば用いられるが、共分散分析のほうが適している場合が多い。但し、原理を理解せずに、統計パッケージに何でも流し込むのは考えもの。
  3. 事例中心の研究では、対象者を無作為に選んだとしても結論の一般化には限界がある。代表性よりも、「これだけ多様である」ということをしっかりと写し取ることが大切。
  4. 各所に「このように」、「そのように」が多用されている論文があったが、読み手には分かりづらい。これらの言葉を使わずに文章を書いてみる練習をしてみるとよい。
 といったところで、今回の試問も無事?終了した。最近の傾向としては、質問調査や面接調査主体の論文が大幅に増えているという点が挙げられる。それはそれで悪くないのだが、単にアンケート調査をやりました、話を聞いてきて「KJ法」で分類整理してみました、というだけでは学術研究のレベルとしては不十分。分析手法も大切だが、まず、何に焦点を当てて、どういう枠組みで分析し、最終的に何を明らかにしようとするのかという、大枠をしっかりおさえておくことが大切。ま、少なくとも大枠の部分だけはしっかり指導しているつもりなんだが...。