じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


「我慢」について思ったこと

【思ったこと】

980207(土)
[心理]「我慢」について思ったこと(その1)
 中高校生によるナイフを使った事件が相次いでいることについて3日、中央教育審議会小委員会の座長が「子どもに我慢を覚えさせよう」という試案を示したという。座長がどういう意味で「我慢」という言葉を使ったのか定かではないが、とかくこういう言葉は独り歩きするものだ。今朝の朝日新聞の「Q究インサイドニュース:ナイフを握る少年たち」でも寄せられた投稿を紹介していたが、人により解釈はまちまちであるとの印象をもった。具体性のある議論を展開するには、もう少し「我慢」の意味を問い直してみたほうがよさそうである。そこで今日から不定期連載で、「我慢とは何か」、「我慢に代わるものは何か」といった問題を考えてみることにしたい。
 このシリーズで私が主張したいことは次のとおりである。
  • ある分野で我慢強くなったからと言って、別の分野でも我慢強くなるとは限らない。
  • 苦しい出来事に対して耐える我慢と、欲しい物を我慢とは、必ずしも同一とは限らない。
  • 何でもかんでも我慢することを覚えさせることは、無気力な人間を作る恐れあり。
  • 特定の行動を我慢するよりも、別の多様な行動に結果を与えることのほうが効果的ではないか。
  • 「すぐには手に入らない」ことを教えるのではなく「こうすれば手に入る」ということを教える。
 今日は1回目なので、まず、「我慢」の国語的な意味を確認しておく。三省堂の『現代国語辞典』(電子ブック版)によれば、「我慢」とは
  1. 苦しいことやつらいことをこらえること。たえしのぶこと。
  2. こらえてゆるすこと。
となっている。我々が常識的に思い浮かべる我慢の意味と一致する。 同じ三省堂でも『新明解国語辞典』第5版のほうはさすがにユニークだ。まず、「我慢」の語源が「もと仏教語で、我(ガ)を立てる気持ちが強すぎ、自らを高しとする念が常に全面【←前面?】に出る意。つまり自慢」であると説明した上で、次のような意味を与えている。
  1. (我慢な)少しくらい自説に無理が有ると分かっていても、意地で主張を通す様子。
  2. (我慢する)精神的・肉体的に苦しい事が有っても、意地で凌ぎを通し、弱音など吐かないこと。
上の2つの説明にはいずれも「意地」という言葉が出てくる。これをさらに調べると、
  1. 一度やろうと思った事を、無理にでもやり通そうとする気持ち。
  2. 人間が生きていく上の欲望。特に、食欲・金銭欲・性欲など。
したがって、上記の「我慢」の説明の部分に「意地」の意味を「代入」すると、
  1. (我慢な)少しくらい自説に無理が有ると分かっていても、【無理にでもやり通そうとする】様子。
  2. (我慢する)精神的・肉体的に苦しい事が有っても、【人間が生きていく上の欲望、特に、食欲・金銭欲・性欲など】で凌ぎを通し、弱音など吐かないこと。
うーむ。中央教育審議会小委員会の座長は、こういうことを子どもに教えたかったのだろうか。

<追記1>「我慢」をキーワードにgooで検索したところ、7372件もヒットした。書物では中野孝次氏の『我慢の思想』など。「日記猿人」とのAND検索をしてみると、「tomoの勤務日誌」、「デーテーペーな1日」(←「日記猿人関係の発言はこちらで」という文字列があるためにヒットしてしまう)、「BOWDO」、「独断と偏見」などがヒットした。何か共通性が?
<追記2>ご本家の議論は、こちらに掲載されていくものと思う。
<追記3>『新明解』の第四版では「我慢」は「精神的肉体的に苦し(くて訴えた)い気持ちを発散させないで抑えること。」と、短い説明になっていた。なぜ第五版であのように書き換えられたのかは不明。
【思ったこと】

980208(日)
[心理]「我慢」について思ったこと(その2)
 きのうに引き続いて「我慢」の話題。ただし、今日は「我慢」に限らず、我々が日常生活で過大に評価しがちな一般能力や一般的性質について考えてみたいと思う。昨日の日記で、
ある分野で我慢強くなったからと言って、別の分野でも我慢強くなるとは限らない。
という視点を示したが、じつは「我慢強さ」に限らず、我々は日常生活のなかで、「根性」、「精神力」、「忍耐力」、「心の豊かさ」、「感性」、「人間性」、「創造性」、「知能」、「思考力」というように、きわめて広範囲にわたって、あたかも一般能力や一般的性質が存在することが当たり前であるかのように決めてかかっているところがある。しかし、実際に細かく分析してみると、そうした「一般性」は、全くの錯覚であったり、予想外のごくごく弱い「共通性」にすぎなかったり、あるいは営利目的に利用されているだけであったりする場合が結構多いようだ。
 一例をあげれば「知能」がある。すでに多くの心理学者によって解き明かされているように、単一の「知能」なるものはこの世界には存在しない。何種類か何十種類の共通因子や特殊因子が絡み合いながら特定の作業遂行能力に一定の影響を及ぼしているというのが真実であって、いわゆるIQというのは、単一の知的能力の指標ではなく、雑多な能力についての個々の素点を寄せ集めて、その総合点を平均が100、標準偏差を15ないし20になるように変換した、相対比較のための総合指標のようなものにすぎないのである。しかし、これが独り歩きして、IQをアップするための早期教育のようなものが開発され、これで金儲けをする人たちが現れてくるのである。

 もとに戻って「我慢強さ」について考えてみたときにも、果たして、一般的性質として「我慢強さ」なるものが存在するのか、仮に存在するとしても、個々の試練や逆境の中でどこまでそれを発揮するのか、もう少し詳細に検討を進めていく必要があるものと思う。
 ここで「我慢強さ」を「苦しいことやつらいことをこらえること。たえしのぶこと。」についての一般的性質だと仮定してみよう。もしそういう性質があるとするならば、例えば、歯医者で麻酔もかけずにドリルで削られる痛みにじっと耐える人は、失恋してもじっと耐えるし、寒中水泳もできるし、あるいはひょっとして、バス旅行中に尿意をもよおしてもシッコしたいのをじっと我慢できるということになってしまう。果たしてそこまで一般性・共通性のある「我慢強さ」が存在するのだろうか。

 これに対してもし「我慢強さ」が非常に個別的なものであったとすると、特定の分野で「我慢強さ」を訓練しても別の場面では殆ど役に立たない可能性が出てくる。どうだろうか。寒中水泳の訓練をすれば、失恋しても打ちひしがれることはないと言えるだろうか。

 ここまで読んでいただいた方の中には「いや、そんなことはない。スポーツの部活で鍛え上げられた我慢強さは、いまの営業マン活動に役立っている」と反論される方もあるかもしれない。確かに、ある種の我慢強さは、一定の一般性、共通性をもつように見えるが、その場合ですら、何らかの錯覚が生じている可能性がある。時間がないので明日以降に続く
【思ったこと】

980211(水)
[心理]「我慢」について思ったこと(その3)
 2/8の日記の続き。
 そもそも「我慢を覚えさせる」と主張するためには
  • 「我慢」という一般性の高い性質もしくは能力のようなものが存在する。
  • その能力を鍛えるための一連の訓練法というものが存在する。
という前提が必要である。これが実証されるならば、「寒中水泳で我慢強さを養えば、失恋してもすぐに立ち直れる」とか、「スポーツで鍛えれば、嫌いな科目も我慢強く勉強するようになる」ということもありうる。しかし、これに対しては、「ある分野で我慢強くなったからと言って、別の分野でも我慢強くなるとは限らない。 」という視点もありうる。今日はこれに関連して、
ある種の我慢強さは、一定の一般性、共通性をもつように見えるが、その場合ですら、何らかの錯覚が生じている可能性がある。
ということを、いくつかの具体例について考えてみたい。
  1. いっぱんに我々は、嫌悪的な事象をポジティブな事象と関連づけることによって(=ルール支配行動を形成することによって)、そこから派生する怒りや悲しみを軽減することができる。例えば、逆境を「神によって与えられた試練である」と受け止めたり、事実は事実以上の何ものでもないからそこで派生する怒りや悲しみは無意味だとして嫌悪事象を中性化する対処法がある。特定の場面でこういう対処法を身につけた人は、まったく別の場面にも同じ対処法を適用できるので、表面的には「我慢強く」なったと見られるようになる。
  2. 同じ環境にあっても、他人のと比較することによって、直面している事象がより嫌悪的になったり(「怒りの鉄拳「我慢の相対性理論つまり西部劇」という関連記事あり)、逆に、怒りや悲しみを軽減することができる(「○○さんのことを思えば、私なんか大したことない」というような発想)。そのときどきで、他者との相対比較をしたり回避したりする対処法を身につければ、表面的には「我慢強く」なったと見られるようになる。
  3. 上記と似ているが、自分自身の過去の出来事と対比させることで、直面している事象に怒りや悲しみを軽減させることもできる。「あの時のことを思えば」というような中性化である。逆に、過去にあまりにも恵まれた体験をすると現在の事象がつまらなく見えてきたりする。そのときどきで、過去の体験との相対比較をしたり回避したりする対処法を身につければ、表面的には「我慢強く」なったと見られるようになる。
  4. 無条件反射が生じるような自体にあって、怒りや悲しみを誘発する刺激を繰り返し提示すれば、生じる反応の強さは軽減していく(→「馴化(habituation)」)。くりかえし嫌悪事象を経験すれば、新たに似たような嫌悪事象を体験しても情緒的反応が誘発されにくくなり、見かけ上「我慢強く」なったと見られるようになる。
  5. 目標物の入手やある事象の実現に失敗する経験を重ねると、その代替物や代替事象に速やかに路線を変更できるような柔軟な対処法を身につけることができるようになるかもしれない。その場合も、見かけ上「我慢強く」なったと見られるようになる。
  6. 動物の学習実験によれば、ある行動に毎回餌を与える条件(連続強化)よりも時々餌を与える条件(部分強化)のほうが、餌を与えない措置(消去操作)をほどこした後でも行動が持続しやすい(→部分強化効果)。この現象を説明するのに「我慢強さ」を仮定する必要は全くない。
以上、思いつくままに事例をあげてみた。大ざっぱに言えば、ポジティブ思考、「あの人のことを思えば」、「あの時のことを思えば」、「馴れ」、あるいは気分転換の技術などが、見かけ上の「我慢強さ」を形成している可能性があるということである。
 つまり、「我慢強さ」というのは記述概念・分類概念であって、説明概念ではない。上記の事例を説明するために、必ずしも「我慢強さ」という概念を想定する必要はない。それぞれに見合った具体的な対処法を解明していくことこそが、本当の意味での「我慢を覚えさせる」ことにつながるのではないかと思う。
【思ったこと】
990316(火)[心理]食べることを我慢するとは?

 「ウンナンの炎チャレ! これができたら1000万円」(瀬戸内海テレビ、19時〜21時45分頃)の一部を見た。その中の「タレント断食72時間耐久」を見てふと思ったのだが、食べることを我慢するとはどういうことを言うのだろうか。

 昨年の2月7日〜2月11日の日記の中の“「我慢」について思ったこと”という連載でも述べたように、「我慢」には少なくとも3通りのパターンがあるように思う。
  1. 咳やくしゃみ、げっぷ、あくび、おなら、尿意や便意など我慢
  2. 逃避行動の我慢
  3. 「したいこと」の我慢
 このうち、1.は、レスポンデント的な要素(=刺激によって受け身的に誘発される部分)が非常に強い行動である。 といっても純粋にレスポンデント的な行動であったら我慢はできないはずだ。例えば目に光を当てた時にいくら我慢しようとしても瞳孔は勝手に収縮する。サウナ風呂に入っていくら我慢をしても特別の修行をしていない限りは勝手に汗が出てくる。

 我慢が可能なのは、レスポンデント的に生じる生理機構をとりまく筋肉機構のうちのオペラント的な要素(=自発可能な行動)を活用して、反射の発現を阻止しているものと思われる。例えば、胃の検査をする時にバリウムと発泡剤を飲まされる。息をとめたり、横隔膜周辺の筋肉をオペラント的に動かしたりすると何とかげっぷをこらえることができる。

 2.および3.が成立するためには、目先の結果(好子や嫌子)とは別に事後に遙かに大きな結果が随伴することが必要である。今回の番組では100万円とか300万円といった賞金(=好子出現)がこれにあたる。逆に、大きな嫌子が「やりたいこと」を我慢させている場合もある。万引き、性犯罪などを刑罰で抑止するのがこれにあたる。

 さて、問題の「食べることの我慢」だが、食物を手に取る、口に運ぶ、噛む、飲み込むといった一連のオペラント行動自体は食物という生得性好子によって強化されているものと考えられる。絶食時間が長くなることや目の前に美味しい食物が提示されることは、食物の好子としての効力を高める確立操作にあたる。これが我慢できるのは、「食べると、後に出現するはずの賞金が阻止される」という好子出現阻止の随伴性が働いているからである。但し賞金の出現はずっと後のことであるから、現実の我慢は「ルール支配行動」として機能していると考えるべきであろう。

 「待て」と言われた犬が目前の餌を食べるのを我慢するのもルール支配行動か? 犬は言語を使わないのでこれはちょっと考えにくい。この場合は、
  • 「待て」という音声刺激のもとで餌をムシャムシャ食べるとこっぴどく叩かれた(より大きな罰を与えられた)ことがある。
  • 「待て」という音声刺激ばかりでなく、その号令がかけられた環境・文脈も「我慢」の弁別刺激となっている。例えば、主人の目つき、ニオイ、動作など。それゆえ、主人が居なくなってしばらくたつと食べ出す犬もいる。
  • 「よし」という号令がかけられた時だけ食べることが許されるように訓練された犬の場合も、 同じまたはそれ以上に「我慢」ができるはずだ。
 いずれにせよ、人の場合も犬の場合も、
  1. 我慢の対象となる具体的な行動
  2. 目先の結果
  3. 後に起こる生じるかもしれない大きな結果
  4. 弁別刺激(オペラント行動自発の手がかりとなる刺激)
  5. 確立操作(好子や嫌子の効力を変えるための生体側の操作)
という5つのポイントを押さえると、
  • 我慢という概念は行動説明には必ずしも必要でない。
  • 同じ状況での「我慢強さ」の差は個々人の素質や一般的能力の差ではなく、結果として生じる(あるいは失われる)強化子への確立操作の違い、あるいは弁別訓練の差に帰着できるかもしれない。
  • 特定場面で「我慢強さ」を形成された人が、別の場面でも同じように「我慢強さ」を発揮できるとは限らない。
という可能性が出てくる。

 それにしても、「タレント断食72時間耐久」はわざとらしく見えた。それは、食べるという行動が本質的に正の強化によって維持されるオペラント行動であるためだろう。目の前に美味しい食べ物を見せられても、痛みをこらえるとか眠気を払うといったような緊迫感は出てこない。それに3日も断食したら、せいぜい口にできるのは流動食のみ。限界を超えれば衰弱し、何も口にすることができない。少なくとも高級ステーキなんかは食べたくなくなる。一般参加ではなくタレントに限定したのも、そのあたりで「食べたい」と見せかけるための演技が求められていたためではないかと思った。