じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa



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ボランティア通貨とエコマネー

2000年10月8日〜11月16日




【思ったこと】
_01008(日)[心理]ボランティア通貨

 10/5の朝日新聞によれば、京都府は7日から「ボランティア通貨」を発行するという。通貨が発行されるのは3年前から府が整備を進めてきた「丹後リゾート公園」の「地球デザインスクール」事業。例えば公園づくりを1時間手伝うと25ハミー(公園のある宮津市波見(はみ)地区にちなんだ愛称)というように、空き缶を再利用したトイレや木製階段づくりにボランティアで携わった場合に貰うことができ、それらはパソコン内の通帳に記録され、100ハミーたまれば1泊2000年の公園内宿泊施設が利用できるほか、公園の窯で作った炭やパンと交換したり、パソコンの使い方を教わった時のお礼にも利用できるという。

 ボランティア活動に従事することに対して通貨を与えることには一部から「ボランティア精神に反する」との異論が出るかもしれないが、私は大いに結構なことだと思う。もともと、通貨というのは、自らの労働によって手に入れたり作り出したりしたものを交換する際の利便性を増すために発明されたものである。貨幣が物々交換の代替機能を果たしているだけであれば、人々は今ほどお金に執着することは無かったであろう。その交換可能範囲が、マネーゲーム、不労所得、賄賂、罰金など、労働の価値と対応しないところまで拡大されてしまったために、ボランティア活動を報酬で雇われる労働と区別する必要が出てきたとも言える。

 そこで、もう一度通貨の交換可能範囲を考え直してみる。ボランティア活動の成果をタンジブル(tangible)なものに置き換えた上で、個々の行動に伴う内在的な結果に助け合いや交流といった「交換可能」な価値を与えてみたらどうだろうというのが、ボランティア通貨という新しい概念を生み出したのであろう。

 目に見えにくい価値をタンジブル(tangible)なものに置き換えるという発想は、ほんらいは行動分析的な考え方であると思うのだが(いわゆる「トークンエコノミー」はその一つ)、最近では、経済関係者、環境学者、福祉学者の間でもこれを活用しようという動きが高まっているようだ。

 先日広島の「園芸療法講演会」に参加した時、受付のところに
──経済文化講演会──『新しい社会的価値観による投資と収益──芸術・環境・教育・銀行』 という講演会の案内資料があるのが目にとまった。そこでは、「芸術・環境・教育のための銀行」について
この銀行はお金のために人が存在するのではなく、人々のために、貨幣は循環すべきであるという理念に基づき、その融資先は、環境配慮型生産、有機農業、教育、芸術、医療・福祉、男女共同参画社会、第三世界のフェア・トレード、コミュニティ、住宅環境改善など、社会的なテーマのプロジェクトに向けられています。
という紹介が記されていた。そして、「新しい社会的価値観による投資と収益に関する「智慧の銀行」をめざして「シンクバンク研究所」を設立する」という。

 この「智慧の銀行」自体は、新しい「通貨」の発行を目ざすものではなさそうだが、旧来の貨幣の交換価値を見直すという点では、上記の「ボランティア通貨」と同じ発想に基づくものであると言えよう。

 「通貨」には以上述べた「交換価値」に加えて「貯める」ということの意義もある。「貯める」というと不正蓄財のようなものを連想してしまいがちであるが、本質は、刹那的な価値、短時間で消失してしまう価値をより長い時間的スケールのなかで見直し、累積されることにもっと大きな意義を見出していこうという発想にある。
【思ったこと】
_01105(日)[心理]しごと、余暇、自由、生きがいの関係を考える(14):価値観と行動

 別の大学院に通う方からEメイルで価値観と行動に関して次のような質問をいただいた。ちょうど関連する資料を集めている最中でもあるので、これを機会に私の考えを述べてみることにしたい。

 ご本人から了承をいただいたので、初めにその質問を引用させていただく。なお、原文は1つの段落から構成されていたが、引用の必要上、文章をいくつかに分け、長谷川のほうで番号をふらせてもらった。
【価値観について勉強しているうちに】
  1. 人の価値観と行動とは必ずしも一致しない、ということが出てきました。
  2. 価値観によってその人が取りうる態度や行動は決定されないということです。
  3. その中に出てきたのが、ある実験で、実験群は被験者にリサイクルをすることがいいことだという教示を与え、統制群は何の教示もしないというものでした。
  4. 環境を大切にするという価値観が被験者の後の行動にどう影響するかということを調べているのですが、結果は2群の間に差はなかったということでした。
  5. この実験計画はもう少し考えなければならない点は多々あると思いますが、それは良しとして、そこで分からないと思ったのが、「リサイクル行動を実際に行動として観察されなかった場合、その人はエコロジストとは言えない」のでしょうか?
  6. 行動に観察されなくても認知面で変化があるという見方もありますが、長谷川先生はどのようにお考えですか?もしよろしければご意見を伺いたいと思います。
  7. また、価値観に沿うような態度や行動を人はどうして取らないと思いますか。もし取らないのなら、価値観と行動を一致させるにはどうしたらよいのでしょう か。
  8. もっと根本的な問題として、価値観というものは測れるのでしょうか。
 まず、結論から先に言うが、私は人間の行動を「価値観」という言葉で説明しようとすること自体に無理があると思う。「価値観」という言葉が使えるのはその多様性を強調する場合だけだろう。

 『行動分析学の基礎』(Malott et al., 2000, ISBN 0-13-083706-7]の著者のマロットは、「価値」を次のように定義している。
Value価値:Learned and unlearned reinforcers and aversive conditions. 習得性好子または習得性嫌子。
 この定義はあまりにもあっけなく、読む人によっては「価値を侮辱するもの」、「価値概念の価値を低下させるもの」と受け止めかねない恐れがある。しかしじつはこの定義は、世の中の何に価値があるのかには一言も触れていない。あくまで、世の中に存在する価値は、一般の習得性好子や習得性嫌子と同じプロセスにより、経験を通じて形成される。ということを意味している。つまり、価値の中身を規定しているのではなく、価値の作られ方を述べているにすぎないのだ。このほか、価値はまたただ所有するのではなく、行動と一体となって初めて高められるという点にも注意する必要がある。

 上記のような形で「価値」が定義され、ある個人の習得性好子のリストや優先順位が示されたとしても、どういう行動が強化されているのか、という肝心な知識がなければ行動を説明するわけにはいかない。例えばモネの絵が習得性好子になっていたとしても、同じ行動をとるとは限らない。モネの展覧会に行く行動が強化されるかもしれないし、モネの絵はがきを集める行動が強化されるかもしれない。価値観とか何とか言ったところで、結局は、どういう行動がどういう好子によって強化されているのかを問題にしなければ、その人間を理解したことにはならないのである。

 さて、もとの質問の3.と4.で引用されている実験だが、原典が分からないので何とも言えないが、もしその実験者が「リサイクルをすることがいいことだという教示を与え」ただけで被験者の「価値観」を変える操作を行ったと考えているなら、あまりにも浅はかすぎると言わざるをえない。仮に、その教示を与えられた被験者が「リサイクルは良いことだ」という質問に肯定的な回答をするようになったとしても、それだけで行動が変わったなどということはありえない。しいて言えば、「リサイクルは良いことですかという質問にそうだと答える」という言語行動程度は変わったかもしれないが.....。本当に行動を変えようとするならば、まさにリサイクル行動そのものを強化するほかはない。その実験では行動を何も強化していないのだから、変わらないのは当たり前。驚くには当たらない。(というか、この実験は、「教示だけで強化しなければ行動は変わらない」という証拠を示したものと言えるかもしれない)。

 次に「『リサイクル行動を実際に行動として観察されなかった場合、その人はエコロジストとは言えない』のでしょうか? 」というご質問だが、それは何をもってエコロジストと呼ぶのかという定義によってどうにでも変わると言わざるを得ない。資源回収活動を実際に行っている人を呼ぶのか、リサイクル団体に寄付をするだけでもよいのか、「リサイクルは大切だと思うか」という質問にYESと答える人も含めるのか、さまざまであろう。もっとも、ホンマのところは「リサイクルは環境破壊の免罪符にはならない」という発想こそが求められているのだけれど.....(11/2の日記参照)。

 6.の「行動に観察されなくても認知面で変化があるという見方もありますが、長谷川先生はどのようにお考えですか?」については、上にも述べたように、リサイクル行動自体は強化されなくても、「リサイクルは良いことだ」という発言する行動、アンケートでそのように回答する行動には変化があるだろう。そういう意味では認知面には変化があると言ってもよいだろう。しかし「認知を変えれば何かが変化するだろう」などと呑気なことを言っている場合ではない。「認知を変える」と称される働きかけが、
  • ルール支配行動の形成をもたらしたのか?
  • 新たな弁別刺激を提示しているのか?
  • 確立操作を行っているのか?
を見極めた上で、その人にとって、いまどういう行動が強化されているのか、今後どういう行動が強化される可能性があるのか、を具体的に検討することが大切だ。「リサイクルは良いことだ」という講演会に出席しただけでは、リサイクル行動自体は強化されないかもしれないが、環境問題について情報を収集する行動、そういう話題をWeb日記ネタにする行動は増えるかもしれない。そういう能動的な行動面の変化がどの範囲にどの程度及んだのかを探ることのほうが、認知の変化内容を調べる分析よりよっぽど大切なことだと私は思う。

 7.の「価値観と行動を一致させるにはどうしたらよいのでしょうか。 」については、
  • Attitudes and beliefs as verval behavior. [Guerin, 1994, The Behavior Analyst, 17, 155-163.]
  • 言行不一致の行動分析 [桑田, 1996, 行動分析学研究, 10(1)]
を読んでいただいた上で、もういちど質問してほしいと思う。

 最後の「もっと根本的な問題として、価値観というものは測れるのでしょうか。」については、繰り返しになるが、
  • その人にとって何が習得性好子(あるいは嫌子)になっているか。
  • その人にはどういう行動リパートリーがあり、そのどの部分にどういう好子(あるいは嫌子)が随伴しているのか。
を調べれば測ることはできる。ただし、それを調べたあかつきには「価値観」という概念は不要になるであろう、というのが私の考えだ。

 「認知の変化」が行動を変えるのか、それとも行動が変わる中で認知が変わっていくのかという問題は、もはや人工環境の中の決定実験で争われるような議論ではない。実践場面の中で、結果的に有効なものだけが淘汰されていくだけのことだ。11/4の朝日新聞で取り上げられていた「エコマネー」などは、こうした問題を考える上で良きヒントを与えてくれるものであると思うが、時間が無くなったので次回に取り上げることとしたい。
【思ったこと】
_01112(日)[心理]エコマネーとボランティア通貨(1)

 11月5日の日記の続き。10/14(岡山地方での掲載は11/4)の朝日新聞記事によれば、
 特定の地域内だけで流通する通貨「エコマネー」の試みが、全国に広がっている。導入を検討中のところも含めると30カ所に上り、年内には50カ所に迫る勢い
だという。これとはやや性格を異にするが、10/8の日記で京都府が発行するボランティア通貨についてとりあげたことがある。こちらは、
「丹後リゾート公園」で例えば公園づくりを1時間手伝うと25ハミー(公園のある宮津市波見(はみ)地区にちなんだ愛称)というように、空き缶を再利用したトイレや木製階段づくりにボランティアで携わった場合に貰うことができ、それらはパソコン内の通帳に記録され、100ハミーたまれば1泊2000年の公園内宿泊施設が利用できるほか、公園の窯で作った炭やパンと交換したり、パソコンの使い方を教わった時のお礼にも利用できる。
というものだが、今回紹介されているエコマネーは、より多様な交換機能をもつものであり、北海道栗山町「クリン」や富山市の「きときと」のように介護・福祉を目的としたもあれば、まちづくり、地域商店街活性化を目的としたものもある。

 これらはいずれも、特定地域、コミュニティ内で通用する一種のトークン・エコノミー。通常の「お金」では代替できないような特定の価値を交換価値に置き換え、望ましい行動を強化しようとするものであり、行動分析の原理にかなったものと言えよう。もっとも導入にあたって、どうしたら有効に機能させられるのか、問題点はどこにあるのか、を科学的に検討する必要がある。

 ボランティア通貨の意義についてはすでに10/8の日記で指摘した通りであるが、ボランティア活動以外の行動においても一般的に次のような長所をもつものと考えられる。
  1. 「ちりもつもれば山となる」型の行動を直後強化
  2. 努力の量を数量化
  3. 般性好子の導入による飽和化の解消
  4. 既存の交換価値の見直し。資産などの不労所得では交換できない新たな価値づくり
  5. 物の「交換価値」、「利用価値」を見直すきっかけをつくる
  6. 行動自体に価値を与えること。これにより、生産活動以外の行動を強化できる。
いっぽう、次のような短所も考えられる。
  1. スキナーが指摘したmoney一般の問題。すなわち間接効果的随伴性の弊害。
  2. 行動内在的好子の希薄化
  3. コミュニティ内部にとどまる
  4. 交換機能の信頼性や安定性の問題(インフレ? デフレ?)
次回はこれらについて詳しく考えていくことにしたい。
【思ったこと】
_01113(月)[心理]エコマネーとボランティア通貨(2)その後調べたこと/問題点から先に考えてみると...

 11月12日の日記の続き。エコマネーについてさらに詳しく調べてみた。
  • 新聞の過去記事を検索してみたところでは、「エコマネー」を命名したのは加藤敏春さん。本職は通産省サービス産業課長。2000年4月22日の朝日新聞「ひと」欄にその紹介があった。通産省の役人が「別の価値体系の『お金』もつくらないと、人がつくったマネーの世界に人がのみ込まれてしまう」と発言されていることはまことに心強い。
  • 加藤敏春さんは昨年5月に「エコマネー・ネットワーク」を設立。ネットで検索したところこちらにHPがあった。
  • 2000年3月16日の朝日新聞・富山版によれば、地域通貨は1980年ごろから欧米を中心に広まり、世界で2500種類以上あるという。同記事には
    これまで「無償」とされてきたボランティア活動を評価し、融通しあうことで、地域社会の助け合いの輪を広げる。
    というように、導入の狙いが記されていた。
  • さらに、ネット検索により、
    • 『エコマネー』(加藤敏春、ISBN4818809993)
    • 『だれでもわかる地域通貨入門』(あべ よしひろ、ISBN4894740117)
    が出ていることも分かった。

 さて、エコマネー、ボランティア通貨、地域通貨について、これまでに得た情報だけから判断する限りにおいて、私はまだ全面的に導入賛成という立場はとれない。しかし、いま問題となっている高齢者の介護、環境保護、あるいは奉仕活動の促進を実現させるためには、これが、現状で考えられる最善の方法であるとも思っている。そこで、まず問題点(と考えられること)を先に挙げ、次回に、ポジティブな側面を強調していくことにしたい。

 まず、家庭内でエコマネーを導入したらどうなるかを考えてみる。本来無償で行うべき「手伝い」、「掃除」、「洗濯」、「送り迎え」などはみな家庭内通貨でやりとりされることになる。例えば、妻は食事を作るたびに家族から「1ハセ」を受け取る。子供が家事の手伝いをした時には親から「1ハセ」を受け取る。私が息子を車で駅まで送った時にも「1ハセ」を貰うことになる。こういう通貨のやりとりで本来の家族が成り立つかどうかは誰しも疑問に思うところだろう。

 では地域ではどうか。昔ながらの山村であれば、エコマネーでやりとりしなくても、盆踊りや秋祭りの準備はできるだろう。みな得意な技を活かして村のイベントの成功のために尽力する。これは娯楽ばかりでなく、森林管理、田んぼの共同作業、家の屋根の葺き替えなど、生活の基本にも及ぶものであり、そういう社会ではエコマネーは必要ない。つまり、地域社会でエコマネーが必要になるということは、それだけ個人主義的傾向が強まり、個々人の関係がそれだけ疎遠になったことの表れであるとも言えよう。

 このほか、昨日挙げたようは、次のような問題点が考えられる。
  1. スキナーが指摘したmoney一般の問題。すなわち間接効果的随伴性の弊害。
  2. 行動内在的好子の希薄化
  3. コミュニティ内部にとどまる
  4. 交換機能の信頼性や安定性の問題(インフレ? デフレ?)
 このうち、1番目と2番目は相互に関連しており、要するに、「助け合い」の際に直接随伴するはずの笑顔、感謝、連帯感、環境美化など、自然に随伴するはずの好子が、お金という習得性好子の付加によって相対的に希薄化するのではないかという恐れ。3番目の点は、エコマネーの「流通」範囲が特定地域や集団内部にとどまることによって、部外者との交流が疎遠になったり、「よそ者」を含めて誰でもわけへだてなく助け合うという「人類愛」の精神が損なわれないかという恐れだ。

 4番目は、貨幣経済一般において要請される条件であると思うが、エコマネーの交換価値がコミュニティの盛衰によって激しく変動するようでは困る。例えば、エコマネーを貯め込んだものの誰もサービスを提供してくれないとか、インフレやデフレ同様の現象が起こるようでは、望ましい行動が強化されにくくなる。このあたりの管理を誰がどのように行うかが大きな課題となるように思える。

 なお、以上に記した疑問点等は、文中に紹介したサイトや書籍を拝見する前に書かれたものである。今後、それらを詳しく拝見することにより、誤解している点があれば訂正させていただきたいと思っている。
【思ったこと】
_01116(木)[心理]エコマネーとボランティア通貨(3)導入するメリットについて考える

 11/12の日記の続き。今回は、エコマネーやボランティア通貨を導入することのメリットについて考えてみたいと思う。なお、念のためお断りしておくが、前回掲げた
  • 『エコマネー』(加藤敏春、ISBN4818809993)
  • 『だれでもわかる地域通貨入門』(あべ よしひろ、ISBN4894740117)
はまだ手元に届いていない。あくまで、現時点での勝手な想像にすぎないことをお断りしておく。

 さて前回の日記の中で、
昔ながらの山村であれば、エコマネーでやりとりしなくても、盆踊りや秋祭りの準備はできるだろう。みな得意な技を活かして村のイベントの成功のために尽力する。これは娯楽ばかりでなく、森林管理、田んぼの共同作業、家の屋根の葺き替えなど、生活の基本にも及ぶものであり、そういう社会ではエコマネーは必要ない。つまり、地域社会でエコマネーが必要になるということは、それだけ個人主義的傾向が強まり、個々人の関係がそれだけ疎遠になったことの表れであるとも言えよう。
と述べた。しかしこのことは、エコマネーを導入することのデメリットではない。こういう個人手主義的な傾向を悲観、否定せず、現実的に交流を活発にしていくためには、むしろエコマネーを活用すべきであるという意味にもとれる。

 エコマネーはまた、ムラ社会の中でしばしば感じられる社交儀礼や通過儀礼を合理化する可能性がある。「菓子折文化」という言葉があるかどうか知らないが、我々は、ご近所や職場の同僚から特別にお世話になった時に、菓子折をもってお礼に行く習慣を持っている。これはコストがかかる上に、ダイエットをしている人にとっては迷惑にもなりかねない。といって、お金を払うのは失礼であるし、相手を怒らせることさえある。エコマネーを支払うということであればそういった遠慮は不要、受け取る側もそれを有効に活用することができるだろう。

 エコマネーやボランティア通貨が一般のお金と異なる最大の点は、交換価値に制限を与えている点にあると思う。10月8日の日記で指摘したように、
もともと、通貨というのは、自らの労働によって手に入れたり作り出したりしたものを交換する際の利便性を増すために発明されたものである。貨幣が物々交換の代替機能を果たしているだけであれば、人々は今ほどお金に執着することは無かったであろう。その交換可能範囲が、マネーゲーム、不労所得、賄賂、罰金など、労働の価値と対応しないところまで拡大されてしまった.....
つまり、一般のお金の場合、ギャンブル、時には不正に儲けたお金であっても、サービスと交換できる。いっぽう、エコマネーやボランティア通貨の場合は、どんなお金持ちでも自分で体を動かさない限りそれを手に入れることができない。10月8日の日記に記したように、
ボランティア活動の成果をタンジブル(tangible)なものに置き換えた上で、個々の行動に伴う内在的な結果に助け合いや交流といった「交換可能」な価値を与え.....
ることに最大の意義があるように思う。

 このほか、11月12日の日記で挙げたメリットについて、もう少し詳しく考えを述べておきたい。
  1. 「ちりもつもれば山となる」型の行動を直後強化
    環境を守るための行動というのは、1回1回の行動に伴う結果があまりにも小さく、強化されにくい。例えば、道路のゴミを1つ拾っても町全体の環境が直ちによくなるわけではない。そのように、結果が累積しないと意味をなさない行動の場合に、個々の行動を直後に強化する方法としてエコマネーは非常に有用であろう。
  2. 努力の量を数量化
    どのような行動も努力に応じた結果を与えない限り強化されない。相手に対して何らかのサービスを行う行動は、ふつう、「ありがとう」という感謝の言葉や笑顔といった社会的好子で強化される。しかし感謝や笑顔は相手方の気分や性格によって大きく異なるし、儀礼だけに終わってしまうことさえある。エコマネーを導入すれば、努力に応じて結果を与えることができる。
  3. 般性好子の導入による飽和化の解消
    「菓子折」の事例でも明らかなように、贈答品は必ずしも受け取る側にとって好子になるとは限らない。いくら甘党でも毎日のように羊羹のお礼ばかり貰えば飽きてしまう。エコマネーのような般性好子は、いろいろなものと交換できるので、飽和化(satiation)によって強化力が低下する恐れが無い。
  4. 行動自体に価値を与えること。これにより、生産活動以外の行動を強化できる。
    生産活動は「完成」や「収穫」によって行動内在的に強化されるが、人と人の間の交流では必ずしも到達点が定まらないために、これに代わるものが見えにくい。エコマネーを導入すればその弱さを補い、完成や収穫に結びつかない行動に価値を与えることができる。
  5. 多様な交流を強化できる。
    AさんとBさんの間の助け合いはお互いの感謝だけで成り立つが、AさんがBさんを助け、Bさん→Cさん、Cさん→Aさん、というように援助の方向が一方通行で循環するようなケースでは、相手の感謝の顔が見えにくくなる。これらは、従来「人に親切をすることは良いことだ」という道徳(倫理)に一致する行動として社会的に強化されてきたが、道徳による行動制御に限界があることは9月7日の日記でも指摘した通りだ。エコマネーのようにタンジブル(tangible)なものに置き換えれば、先に行動を変えることで、結果的に道徳観、倫理観を変えていくことができるだろう。



この連載2001年版:地域通貨とエコマネーに続きます