国立大学法人 岡山大学

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No.27 記憶のメカニズムとビッグデータによる教育改革

focus on - TERASAWA Takafumi

No.27 記憶のメカニズムとビッグデータによる教育改革

学術研究院教育学域 寺澤 孝文 教授

 時間をかけて単語帳を何度も見返し、テストに備える・・・。これまで当たり前だった勉強のやり方が大きく変わるかもしれません。学術研究院教育学域の寺澤孝文教授は、ビッグデータを活用し、学んだ内容が実力レベルの記憶にどの程度定着したかを可視化する技術を開発。一日に数回さっと目を通すだけの勉強で、効果的に身につけさせる学習プログラムを作りました。学校現場でも導入されて社会実装が広がり、これまで成績が振るわず意欲を失っていた生徒を中心に、劇的な効果を上げています。

―先生の専門を教えてください。

寺澤教授
寺澤教授

 基礎系心理学が専門で、学生の頃から記憶や認知のメカニズム、特に「潜在記憶」について研究しています。潜在記憶とは、意識して思い出したり表現したりすることはできなくても、頭に残っている記憶を指します。教育分野でいえば、資格試験や実力テストによって測定する、実力の基盤となっている記憶を示しますが、潜在記憶については最近、驚くような事実が報告されています。

 被験者に、意味のないランダムに作られた8個のメロディを一度だけ聞き流してもらい、その3カ月後、同じ被験者に、先に聞き流した8個のメロディに加え、それらととてもよく似ていますが初めて聞く別の8個のメロディをでたらめに混ぜた記憶課題を被験者にやってもらいます。もちろん、3カ月前に聴き流しただけのメロディを直接思い出すことはできるはずもありません。ところが、直接思い出すのではなく、間接的に記憶を測定する課題(間接再認課題といいます)を使うと、9割の被験者において、以前に聞いたメロディについての課題の得点が、初めて聞くメロディよりも高くなる結果が確実に得られます。つまり、数カ月前に単に聞き流しただけの感覚的な情報を、人が確実に記憶として脳に残し続け、再構成できるということが明らかになっています。メロディでなく図形を見せて行っても、同様の結果が得られます。この事実は、創造的な思考の理論にも大きな影響を与えると考えています。

 この記憶の定着の仕方については多数の研究がなされており、潜在記憶の成績には覚えようとするかしないかが影響しない、年齢の影響を受けないなど、さまざまな興味深い事実が明らかになっています。直接思い出すことはできませんが、先ほど説明したような実験を行えば百発百中で劇的な結果が出てきます。記憶は消えずに残り続けていることが、最新の研究で広がり始めています。大学の授業でこの実験のデモを行うことがありますが、学生からは毎回「鳥肌が立った」という感想を受けています。

―画期的な学習プログラムを開発されたと聞きました。

 「マイクロステップ・スタディ」というe-ラーニングのプログラムで、先ほどお話しした潜在記憶に関する理論が基となっています。開発には20年以上かかりました。一番の肝となるのは、勉強の量でも学習法でもなく、「いつ勉強したか」であり、それも教科ごとや単元ごとといった単位ではなく、英単語なら単語一つ一つごとのレベルです。

 潜在記憶に関する研究成果を活用することで、「この頻度・タイミングで勉強した内容は記憶に定着しやすい」「このタイミングでテストを行うことで、本当に記憶に定着しているかどうか測定できる」といったことが分かります。しかし当然ながら、「いつ・何回学習したか」を管理できなければ、これらの理論を最大限活用することはできません。従来のテストの最大の問題点はここにあり、出題される問題それぞれについて、いつ勉強したかという情報がないため、本当に身についたのか、直前に記憶しただけですぐ思い出せなくなる、いわゆる「一夜漬け」の記憶なのかがテストの結果からは判別できないのです。

 そこで、学習するタイミングとテストするタイミング、および両者の間隔(インターバル)を長期にわたり緩やかに制御し、さらに学習者の学習に関する膨大なデータを全て収集・解析すれば、どの程度真に実力レベルで記憶に定着しているかを、学習内容ごとに高い精度で測定することができると考えました。これが私の開発した「マイクロステップ・スケジューリング」という技術であり、これを活用して子どもたちの学力を伸ばすことができないかと、大学院生の頃から今まで研究やシステムの開発を長年続けてきました。これを組み込んだ学習プログラム「マイクロステップ・スタディ」が、近年ようやく実用レベルになったところです。

―「マイクロステップ・スタディ」は具体的にどのようなプログラムなのでしょうか。

パンフレット
高校や企業向けのパンフレット

 学習したい漢字や英単語などの問題について、スケジューリングによって数カ月~年単位でどの問題を、いつ、どのように勉強およびテストするかというスケジュールを作成します。学習者には、毎日学習すべき問題やテストがセットで表示されるので、それを流し読みし、問題ごとに「自分の中でその問題がどれほど定着したと思うか」という習得度をアンケート形式で答えていきます。所要時間は1日につき5分~10分ほどです。それ以外に5日に1度のペースで小テストも入りますが、そのテストも、出題する問題とそれを学習した時期・回数を厳密にスケジューリングして実施しています。その成績と自分が回答した理解度の推移はグラフ化されてフィードバックされ、学習者や教師、保護者が確認できます。

 自分が思う習得度と実際の客観テストの成績は強く相関することが分かっており、またほぼ全ての学習者で成績が伸びていく様子が個別に可視化されます。そのため、特にそれまで成績が低く、意欲を失っていた小学生で勉強へのモチベーションが大きく伸びることが、これまでの実験で明らかになっています。高校生や大学生でもフィードバックにより、やらされ感が低減し、自分からやろうという意欲が向上することが確認されました。

 また、定期的に学習と小テストを行うようにスケジュールを組んでおくことで、問題ごとに一定の間隔でいくつも成績データが集められ、それを分析することで従来とは比較にならない精度で実力レベルの到達度を推定できるようになりました。これらのテストによって完全に実力レベルで記憶に定着したと判断された問題は、その後は表示されなくなっていくため、個人ごとに学習のスケジュールを最適化することができます。完全に定着していない問題があと何問残っているのかも学習者に表示されるため、モチベーションの維持にもつながります。

―1日5分の学習で良いというのは驚きです。

 実は、一度に同じ問題を6回以上反復学習しても、実力レベルの記憶の定着度合いにはほとんど効果がないことが研究結果から分かっています(かなり深刻な事実です)。一つの問題に固執して、何回も繰り返し頑張って覚えようとして時間をかけるより、流し読み程度でいいので一度になるべく多くの問題に触れるほうがはるかに効率的なのです。

―実際の学校現場で検証された際の成果はいかがでしたか。

 過去に岡山県赤磐市や、長野県高森町などの学校で試験導入させていただき、いずれも明確な効果を上げています。赤磐市の例では導入した生徒たちの国語の全県レベルのテストの成績が平均1割上昇したほか、高森町では自主的に学習しようとする意欲が半年間で有意に上昇しました。勉強への意欲を継続的に、大幅に高めることができた研究は、世界でも他に例がありません。最近、GIGAスクール構想による一人一台端末の整備もあり、すでに多数の学校や企業から引き合いがあります。

―岡山大学でも導入されているそうですね。

スマホ
附属中学校で導入している専用端末

 2019年度から、岡山大学の1年生全員に対して英単語の学習用に導入されています。希望者のみが任意で使用する形式ですが、2020年度は1年生の約3分の2が年間で平均111日間も取り組んでくれ、利用人数、時間ともに年々増加傾向にあります。

 さらに、2020年度には1年生全員が、総合的英語力の指標となる「GTEC(リスニングとリーディングの合計点)」を4月と12月の2回受験したのですが、この成績について素晴らしい結果が明らかになりました。マイクロステップ・スタディが、語彙力や学習意欲だけでなく、総合的英語力にも明確に貢献していることが実証されたのです。詳細は今後発表予定ですが、短時間で負荷のないe-ラーニングによって、総合的英語力を高められることを、客観的データで証明したのは恐らく世界初のことであり、大変うれしいです。

 岡山大学の教育学部附属中学校でも2020年2月から導入されています。学習量を確保するため、家庭でも取り組んでもらえるよう、各生徒に専用のスマートフォン端末を貸し出しています。この端末には最新の技術を導入しています。つまり、ネットトラブルや悪用を防ぐ方法について検討を重ね、学校では動画撮影などさまざまなアプリが使えますが、学校を離れるとマイクロステップ・スタディなど、安全なごく一部のアプリしか使えないようにする、専用のシステムを開発しました。まだ解析は終わっていませんが、これまで分かっている限りでも学習量が劇的に増加しています。

―大きな成果を上げられているのですね。注目度も高いのでは。

eラーニングアワード
日本eラーニングアワード2019授賞式(11月13日、右:寺澤教授)

 2018年度には内閣府のSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)という国家プロジェクトに採択されました。この事業はSociety5.0(サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会)を実現するための事業です。2020年度までの期間、高精度な教育ビッグデータをベースとした教育支援の公教育への導入を推進することを目指しました。

 また、2019年11月には、一般社団法人e-Learning Initiative Japan・フジサンケイビジネスアイ主催の「eラーニングアワード2019フォーラム」で文部科学大臣賞をいただきました。多くの方に期待されていることを実感します。

―今後の展望を教えてください。

 マイクロステップ・スタディが普及すれば、これまで成績が伸びず苦しんでいた子たちを助けられるだけでなく、これまで学校教育で暗記に費やされていた時間や、テストに費やされていた時間を大きく削減し、創造的な学びや体験的学習により時間を割くことができるようになります。教育のあり方が大きく変わることになるでしょう。一日も早く実現できるよう、普及や改良に力を注いでいきます。
 
 また、マイクロステップ・スタディは、単純に成績を高めるだけではなく、1万人単位の学習者の膨大な時系列データ(縦断的データといいます)を一元的に集約できるという点で大きな可能性を持っています。
知識習得とは別に、毎日の学習の最後に、意欲や自己効力感などを測るアンケートを入れて、その変化を一人一人描き出せるようになっており、過去に抑うつ傾向を測るアンケートを入れ、3カ月間測定したことがあります。そのデータを分析してみると、95%以上の生徒の抑うつ傾向の得点は変動せずほとんど一定でしたが、数パーセントの生徒に、抑うつ傾向が大きく変動する生徒が見つかりました。一人一人の生徒の長期的な抑うつ傾向の変動の記録を数多く集めることができれば、精神的に問題を抱えやすい子に特徴的な変動パターンを特定できる可能性があります。実際に問題が起こる前に先んじてその予兆を察知し、ケアできるようになるかもしれません。

 抑うつ傾向に限らず、個人ごとに長期的な変化を記録する縦断的データというのは、社会科学などの多くの研究者がのどから手が出るほど必要としているものです。マイクロステップ・スタディが普及し、全国の生徒たちの多様なデータを継続的に集められるようになれば、多くの学術研究にも大きな変革をもたらせる可能性があります。質の高い教育ビッグデータを集約できる岡山大学がデータサイエンスの拠点になるのは自然な流れだと思っています。

 まだアイデア段階ですが、企業や自治体等と連携した新しいeラーニングの事業モデルを生み出せる可能性もあります。マイクロステップ・スタディの成果のフィードバックはWebページ上で見られるようにしていますが、このページに自治体からのお知らせや、企業のメッセージなどを掲載することで、利用者に定期的な情報発信を行う事ができます。もちろんこの発信も、スケジューリング技術を利用すれば詳細に最適化できるため、非常に効率的な発信手段となるでしょう。これを事業化し、収益をデータサイエンスの専門家の養成などに活用する・・・といった流れが実現すれば、持続可能な社会やSociety5.0の実現に大きく貢献できるかもしれません。

○「マイクロステップ・スタディ」のWebサイトはこちら

○寺澤教授の「eラーニングアワード2019フォーラム」における文部科学大臣賞の授賞式および受賞記念講演の様子は、こちらからご覧いただけます。

○「覚えようとせず見流す程度で学習すべき」「知識習得は固執して勉強してはいけない。一日に同じ英単語の学習は5回までにすべき」など、現在の学習の常識を覆す新しい事実と、最新の記憶研究を基盤に導き出された効率的な知識習得を促す学習法と、マイクロステップ・スケジューリングの原理を紹介した本が出版されました。(「高精度教育ビッグデータで変わる記憶と教育の常識:マイクロステップ・スケジューリングによる知識習得の効率化」 風間書房)

略歴
寺澤 孝文(てらさわ・たかふみ)
1964年生まれ。筑波大学大学院心理学研究科博士課程修了。博士(心理学)。専門は認知心理学、教育心理学(教育ビッグデータ)など。日本学術振興会特別研究員、筑波大学心理学系助手、岡山大学大学院教育学研究科准教授などを経て2008年より同教授、2021年より現職。

(21.06.01)