国立大学法人 岡山大学

LANGUAGE
ENGLISHCHINESE
MENU

No.5 “クニヨシズム”に倣う教育精神

forcus on - Shinji Saito

No.5 “クニヨシズム”に倣う教育精神

大学院教育学研究科
 国吉康雄を中心とした美術鑑賞教育研究講座
 才士真司 准教授

 学都、医療都市、交通の要所、さまざまな名所・史跡、安定した気候とそれを生かした特産品…岡山は多様な地域資源に恵まれていますが、教育学研究科の才士真司准教授は「ポテンシャルは高いのに、資源を生かしきれていないのでは」と疑問を投げかけます。岡山市北区出石町出身で20世紀前半のアメリカを代表する洋画家・国吉康雄の作品をコンテンツとした体感型アートイベント「国吉祭」を通じて、地域芸術文化資源の活用に取り組む才士准教授。その真意を聞きました。

―資源が生かしきれていない、というのはどういうことでしょうか。

 岡山は倉敷の美観地区や後楽園があって、瀬戸内の島々の芸術施設に渡るための玄関口です。だから文化やアートが街の顔だと思っている県外の人って結構いるんですよ。岡山市内にも、後楽園の徒歩圏内に多くの美術館や文化施設が密集していて、このコンパクトさは上野公園並みですよ。内容も、刀剣や古備前などの工芸品、浦上玉堂や竹久夢二など岡山にゆかりのある作家の作品から、中東の古代都市の遺物や、常設展示はありませんが、企業コレクションを中心とした現代アートまで、他地域と比べても誇れるものがたくさんある。岡山全体で見ると国宝・重要文化財は兼六園のある石川県より多い。つまり、岡山の芸術文化資源は、瀬戸内でも屈指の質と量なんです。けれども観光目的での入込客は90年代後半がそのピークで、金沢の半分程度。では、それだけの資源を持つ岡山市民の意識はどうかというと、岡山市の調査によると、50%以上の市民が年に一度も美術館や博物館に行かず、アートイベントの鑑賞のために文化ホールも行かないと答えています。岡山は、文化・芸術面での、その恵まれたポテンシャルに反して、運用や活用では「弱い」のではないでしょうか。一つ例を出すと、岡山は交通の要所で山陰や四国からのアクセスも良好です。けれどもコンサートや演劇の公演など、大きなイベントは神戸や広島、香川で行われ、岡山はスルーです。むしろ、立地的には「岡山でやれば」と思うんですが、やらない。理由を東京のイベント関係者に聞くと、「お客の入りや反応が悪いから」と言うんですね。確かに昨年のある展覧会で、岡山の集客は全国巡回の中で最低だったそうです。別のショービジネス系の制作会社は、「箱があるだけでシステムがない」と言います。つまり、会場はあってもイベントの運営に必要な条件が整っていないと。それは運営会社、人材、そしてお客のことです。だからイベントが来ない。そしてお客も育たない。これが悪い循環になっています。

―才士先生も実感することがあるのでしょうか。

 アートを楽しむことに慣れた人が少ないと思いました。昨年の11月に開催した国吉祭で、オリジナルの舞台劇を学生たちと企画して上演しました。そこで実施した聞き取り調査やアンケートに、「どう見たら良いのか分からない」という回答が結構あったのですが、そう答えた人のほとんどが岡山の人だったんです。この舞台劇には東京や北海道、九州からの来場者もありましたが、そういう人たちの目的は観劇であって、それを目的にわざわざ岡山に来るわけですから、「テーマが難しかった」とはあっても、「物語が分からない」というのはあまりないんですね。岡山でも上質な商業演劇や小劇場系の作品、シェイクスピアなどの古典を大阪や京都に見に行くような人たちは「面白い」と言ってくれる。文学やアート作品に距離が近い人もです。やはり慣れてない人が多いんですね。岡山でよく聞く話に、「アート系のイベントに行くとお客は同じ人ばかり」というのがあります。このことをよく考えなければなりません。岡山で文化・アートを「楽しむもの・人生の質を向上させるもの」として捉えている人たちはどれぐらいで、実際に行動してる人はどれぐらいなのか。この演劇公演では宣伝やメディア戦略、学生招待が功を奏して、普段お芝居を見ないという人が随分来てくれました。ですから余計にリアルなアンケートの結果が出たと思います。岡山には芸術資源が溢れていますが、それを積極的に活用し、親しむ環境を整えようという努力が報われない“何か”があるように思います。岡山の文化財や芸術資源は、美術館などの場や文化的な活動を支援するための助成金システムも含め、大変充実しているのにです。他県にはそういったものを上手く活用し、ブランド化している例もありますが、岡山は文化・アートとの距離が近くて遠い気がするんです。

―現状を打破するために、どのようにお考えでしょうか。

 まず、プラスに考えることです。確かに文化・アートとの付き合い方はうまくいっていないと思いますが、考えようによっては手つかずの資源が眠っている未開拓地です。そこで具体的に考えたのが学生たちのことです。この街で学ぶという選択をした若者たちの貴重な4年間という時間に、岡山はアートや文化を学び、識る経験を通して、座学だけでは決して得られない発想力や創造力を育む機会を、そのポテンシャルに見合うだけ提供しているのか。この問いを検証するため、本講座では岡山の芸術文化資源、場、システムを学生らと一緒に、実際に活用してみることにしました。

―具体的な講座の活動について教えて下さい。

才士准教授

 本講座が提供する幾つかの講義では、アートに関する知識だけではなく、ワークショップやフィールドワークを通じて、それぞれのクリエイティビティー(創造力)を磨くためのプログラムを提供しています。教養教育科目の「クリエイティブディレクター養成」では昨年、地域課題を考察する試みとして、先ほどお話しした音楽舞台劇「老いた道化の肖像をめぐる幾つかの懸念」と、アートワークショップなどを実施する「国吉祭2017」を企画し、その運営を学生たちで行いました。これには、ほぼ全ての学部から参加した講座の受講生、1~4年生たちの専門領域やその個性、多様性が大きな役割を果たしています。演劇作品は芸術作品が国家によって管理される近未来のお話で、当然、国吉康雄作品も管理されているという設定です。物語は、国庫に保管されている国吉の油彩画「Mr.Ace」(1952年)が贋作なのでは、という噂が流れるところから始まります。この戯曲は、芸術表現の重要性や人間と文化の関係性を受講生スタッフや観客に問うために書いたオリジナルストーリーです。制作には東京からプロの技術者や役者、アーティストが参加していて、プロの表現、技術にも触れられるようにしました。大学が企画のハブとなることで、1か月もの間、総合芸術である舞台制作の現場を学びの場としても機能させ、プロとアマチュアの混成チームで運営にあたり、それを地域の行政、企業が支援した事例は全国的に見てもそれほど多くはないでしょう。検証は必要ですが稀な運営の形であったのは確かです。

―国吉祭と演劇公演を通じて感じたことはどういったことでしょうか。

 今回の国吉祭や演劇公演で本講座が果たした役割は企画とマッチングです。プロ集団の参加だけではなく、協働・連携の広がりは地域でも広がりを見せました。学内では講座が所属する教育学研究科に加え、鹿田キャンパスや工学部の創造工学センターなどさまざまな学部、部署の協力がありましたし、地元の高校生や社会人、岡山県立大学の学生の参加、県内外の企業の支援があって行えたイベントです。国吉作品のコレクターの協力の元、大学の講座が教養の講義の中でその活用方法を企画し、地域の市民や行政、各種団体と協働でアートイベントを行う。これだけのパッケージができたことは驚きでもあり、素晴らしいことだと思うのですが、ではなぜ、今までできなかったのでしょうか。ここに文化とアートと地域の関係、可能性の答えがあるように思うのです。これを明らかにして発信していくのも、地域の大学の役割ではないでしょうか。

―講座の活動の源泉になっている、国吉康雄という画家について、教えて下さい。

 国吉康雄(1889~1953)は岡山市北区出石町の出身で、20世紀前半のアメリカを代表する洋画家です。アメリカの国籍を持たずして、国際美術展覧会「ベネチア・ビエンナーレ」の代表にも選出されました。岡山での知名度はそこまでではありませんが、アメリカでの回顧展には40万人もの人が詰めかけました。それは、アメリカでは国吉が、単に「芸術家」というわけではなく、カリスマ的な教育者で、全米のアーティストの権利活動のリーダーだったからなんです。実に多彩で行動的。何より作品がオリジナリティーに溢れています。国吉が自身で使っていた“クニヨシズム”という言葉に象徴されているんですが、これは「誰の真似でもない(自分で考える)」ということ。この“クニヨシズム”こそ、本講座の源泉だと考えています。

―国吉康雄の作品に関わるようになったきっかけを教えて下さい。

 瀬戸内国際芸術祭2013で企画された、「国吉康雄展」に参加しないかと声を掛けていただいたことです。それで国吉の取材を始めたんですが、違和感ばかりでした。今思うとですが、岡山での文化・アートを取り巻く事情と似ています。岡山には世界最大規模の国吉康雄のコレクションがありますが、東京の国立近代美術館も上質な国吉コレクションを寄託されています。大原美術館や東京都現代美術館など、国吉作品を所蔵している美術館は意外と多いんです。けれども国内の国吉の評価は、岡山同様、それほどではありません。数少ない書籍に書いてあることも論拠がはっきりしていなかったりする。それで関係者や専門家に取材を重ねているうちに国吉の、面白さ、可能性を感じるようになって、アメリカに行ったりして、余計にのめり込みました。

―では、国吉に興味を持ち始めたのも、瀬戸内国際芸術祭がきっかけだったんですね。

研究資料
国吉康雄の作品。左は「Boy Stealing Fruit」

 興味という点では中学生の頃ですね。美術の教科書に果物を盗み食いしようとしている男の子を描いた「Boy Stealing Fruit」(1923年)という作品の図版があって。これ、変な絵なんですよ(笑)。子どもが可愛くないんです。目が三白眼で、怖い。授業で先生が触れたかは覚えてませんが、あのインパクトは今でも忘れられません。でも、悪いことをしているときって、こういう目になりますよね(笑)。

―確かに。では、その時からずっと国吉が気になっていたのでしょうか。

 はい。さすがに自分が国吉の研究をするとは思ってもいませんでしたが。でも、この国吉との出会いがあって、東京で培ってきた物作りや企画力のスキルと経験。芸術文化への知識を、瀬戸内や岡山で学生や地域の人たちと共にする機会を得ました。この研究・取材の成果を地域でシェアしようと始めたのが国吉祭なんです。アートと自由に親しむために。距離感を縮めて、自分なりに考えるために。自由にね。

―最後に今後の展望を教えて下さい。

 学生たちとここまでの活動を整理し、再取材を行い、提言書をまとめたいと思っています。文化とアート、そして地域と学生とをもっと上手くマッチングさせて、文化都市としての岡山のポテンシャルを上げられるような、そんな提言を行えるようにしたいです。文化アートもですが、岡山の最大のポテンシャルは学生だと思っているので。

略歴
才士 真司(さいと・しんじ)
1972年生まれ。大阪芸術大学卒業。公益財団法人福武財団研究員などを経て現職。

(18.01.23)