| DEPARTMENT OF ORAL REHABILITATION AND REGENERATIVE MEDICINE | |
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| | 歯学部同窓会誌に窪木学部長の挨拶が乗ります. | 岡山大学歯学部同窓会員へのエール
歯学部長 窪木拓男
平成27年度は,国立大学法人にとって,第二期中期目標・中期計画期間の最終年で,評価に明け暮れた年であった.また,私にとっても,二期4年間続けた歯学部運営の最終年であり,口腔インプラント学会学術大会の岡山での開催等,思い出深い年となった.幸い,歯学部ならびに研究科歯学系,さらには岡山大学病院は,岡山大学本部からA評価(最高評価)を頂き,岡山大学に力強く貢献できたことは本当に嬉しかった.
昨年度の課題解決型高度医療人材養成プログラム拠点校採択の快挙に続き,岡山大学/岡山大学病院が,革新的医療技術創出拠点として認められたのも,今年の大きなニュースであった.革新的医療技術創出拠点とは,厚生労働省管轄であった臨床研究中核病院事業と文部科学省管轄であった橋渡し研究加速ネットワークプログラムが統合され,日本医療研究開発機構(AMED)という組織に移管された巨大事業である.これが採択されているのは,北海道臨床開発機構(北海道大学他),東北大学,東京大学,慶應義塾大学,国立がん研究センター,千葉大学医学部附属病院,国立成育医療センター,名古屋大学,京都大学,大阪大学,国立病院機構名古屋医療センター,国立循環器病研究センター,岡山大学,九州大学だけとなっており,中四国では岡山大学だけである.これにより,企業治験なみに「医師主導臨床治験」を岡山大学で行うことができるようインフラ整備をし,学部教育や大学院教育にもレギュラトリーサイエンスの導入を図ることが求められている.今後,岡山大学医療系学部からいろいろな基盤研究成果が臨床応用され,大学をコアにした産業化が広がる良いきっかけになればと思っている.
さて,現在,大きな騒音を立てながら,歯学部棟の隣の建物「旧混合病棟」が解体作業中である.あの鮨屋も,クリーニング店も,薬局も,レストランも,喫茶「はらだ」もきれいになくなってしまった.個人的には,新しい建物も良いが,歴史を刻んだレトロな建物もよいと思っている.病に苦しむ患者様や病を克服した患者様,患者様を助けるため日夜努力した白衣姿の医師,看護師があの石段をどのような気持ちで登り降りしたであろう.時には,患者が急変し,不安を抱えながら急いで駆け上がったかもしれないし,時には,最善を尽くしたにもかかわらずお亡くなりになった患者様に向けて無念の涙をこらえながら奥歯を噛みしめつつ階段を降りた時もあっただろう.また,寸暇を惜しんで医学の歴史を塗り替える研究をした教員や大学院生たちは,あの石段を時には歓喜の面持ちで,数段飛ばしで駆け上がったかもしれない.また,時には絶望にうちひしがれながら,足を上げる力もなく,階段に躓くこともあったかもしれない.その摩耗した階段と堂々と美しい踊り場が,長い歴史とそこで暮らした多くの者の魂を宿らせている様に感じる.
歯学部が岡山大学に設置されたのは,昭和54年(1979年)10月,第一期生を歯学部が迎え入れたのが昭和55年(1980年)4月のことである.現在,歯学部は創立36周年となったが,その間ずっと旧混合病棟は歯学部を隣から見守ってくれた.個人的には,昼も夜も,土曜日も日曜日もなく研究をしていた大学院生や若手教員の時代によく御世話になった鮨屋や喫茶「はらだ」がなくなり,保存科補綴科診療室の窓からよく見えた台風の日に大きく揺れるモミの木が切り倒され,旧式のエアコンの室外機やアンテナを外壁や屋上に不安定に備えていた旧混合病棟のレトロな景色が消滅してしまうため,やや寂しさを感じている.そのような感慨をある飲み屋で喋っていると,私の空想にアマチュアのカメラマンの方が興味を示し,写真を撮ってくださるという.壊される前にということで,急遽,槇野病院長に御願いし写真撮影の許可を頂いた.アナログ写真であるためか暖かみのあるとても良い写真となった(図1,図2).個人的にも,この建物が好きで時々写真をとりに訪れていた(図3,図4,図5).これらの写真は,行ったことのある同窓生にはたぶん鮮烈に懐かしい記憶を呼び覚ますことだろう.
歯学部の校舎もすでに建設されて34年が経とうとしている.他の国立大学歯学部に訪れて見るとわかるのだが,鉄筋コンクリート製の岡山大学歯学部棟は外観がやや古ぼけては来たが,構造が強固で,歩いてもしっかり感がある.当時,建設に関わった方々は,たぶん将来を見越して頑強なのっぽビルを建ててやろうと奮闘されたのだろう.その建物からは,日本でも有数の歯学部を建ててやろうという気概が伝ってくる.たぶん,少しお化粧直しをすれば,立派な建物に生まれ変わると思う.もちろん,できれば今の歯学部が目指している新しい方向性,例えば,臨床実習や臨床研修の充実,医科歯科連携の推進,臨床研究や国際交流機能の向上,歯学教育・国際交流推進センターや先端領域研究センターの充実などを可能とする改修を行えば,数十年の使用は可能と思える.現在,歯学部棟の改修計画WGを歯学部内に組織して鋭意議論を進めているところである.
最後に少し述べておきたい.岡山大学歯学部の評価は,輩出された同窓生各々の力に強く依存している.すなわち,各々の同窓生や教員が岡山大学歯学部に係わって来たということを自負したいのであれば,各々が岡山大学歯学部関係者として胸を張れる成果をあげ,日々努力をしている先輩諸君の背中を後輩達に見せつける必要がある.本文章では,たまたま古い建物に対する私の愛着をお話ししたが,組織の発展と存続は,決して建物という器(うつわ)によってなされるのではない.組織に属している先輩と後輩の綿々と続く努力の連鎖の中にしか,組織の発展はないのである.そのように考えると,歴史的建造物としての文化的な価値はさておき,この旧混合病棟の建物自体に大きな価値があるのではなく,摩耗した石段や手すりを生み出した歴史とそこに関わった構成員の絶え間ない血と汗と涙の連続性にこそ,我々が最も尊重すべきものが実在していると考えるべきであろう.私も1人の同窓生として,岡山大学歯学部を世界有数の有名校にすべく,できる限りの努力を払い続ける覚悟である.また,新しい歯学部長もたぶん同様の気持ちで学部運営をされるだろう.その意味で,同窓生諸君も,母校に何をしてもらおうと考えるだけでなく,母校のために何ができるかを考える時期に,そろそろ来たと考えるのは私ばかりではあるまい.
(2015年12月11日,インプラント再生補綴学分野教授室にて)

図1 旧混合病棟の1階から階段の踊り場を見たところ.石の階段も手すりに近い右側が摩耗しており,鉄製の滑り止めで補修がなされている.この視線の先に歯学部棟がある.(石原モトフミ氏撮影)

図2 歯学部東出入り口付近から旧混合病棟を俯瞰したところ.正面1階手前は洗濯場.歯学部棟はこの右にある.右の奥に見えているのが,岡山大学病院外来棟.(石原モトフミ氏撮影)

図3 2階から踊り場を見たもの.石でできている手すりが絶妙な湾曲を呈して摩耗している.階段も摩耗が進んでいる.手すりの下には黒く塗装された鋳鉄製のすかしがある.(窪木拓男 撮影)

図4 踊り場の休憩所.背面は,茶色の皮で覆われており,美しい光沢がある.坐部は木製で深い色合いを呈する.随所に石が張り巡らせてある.サッシは,鉄製で塗装がはげかかっているが,頑丈な風合いがすばらしい.(窪木拓男 撮影)

図5 4階の廊下を東に向かって撮影.この階には小児神経外科や産婦人科の手術室や医局があった.パイプが廊下にむき出しに走っている.やや暗い廊下は東からのほのかな光を受けて,昭和の時間の流れを感じさせる.(窪木拓男 撮影)

図6 歯学部の正面には松尾歯学部長時代に設置されたモニュメントがある.(Zoom Up136岡山大学歯学部用の撮影資料から)

図7 歯学部棟の玄関回りは,森田病院長時代に大幅に改修がなされ,身障者向けの駐車場が整備されている.(Zoom Up136岡山大学歯学部用の撮影 | 
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