政党政治の根本が問われる選挙(山陽新聞、2005.9.1)

 

 一九七四年二月、英国では、保守党のヒース首相が議会を解散して総選挙に打って出た。そこには我に利あり、との判断があった。しかし、結果はどの政党も過半数をとることができず、結局第一党になった労働党が少数政権を作ることになった。英国は小選挙区制の国だが常に三つ以上の政党が存在するので、こういうことが起きうるのである。このとき、政権安定化の機をうかがっていたウイルソン新首相は、わずか半年後に議会を解散した。新首相の読みは当たり、労働党は議会の過半数を制することに成功した。

 このエピソードを参考にしながら日本の今度の総選挙を考えてみよう。第一に、議会政治においては首相が計算づくで議会を解散することは当然だということである。現在のブレア首相も今年春議会を解散し、向こう五年間の政権延命に成功した。小泉首相による今回の解散も同じく計算づくと見るのが自然である。すなわち、二者択一の選択を突きつけて党内の反対派を根絶やしにする(ブレア首相は政府案に反対票を投じた議員も公認したが)。ドラマティックな状況を作り出して普段から好意的なマスメディアをさらに引き寄せ、有権者の心理をつかむ。そして選挙に大勝して総裁任期終了後の影響力を確保する。

 第二に、当然のことであるが、ヒース首相が敗北したように、解散は裏目に出ることもある。解散の判断を是とするか否かはやはり有権者に委ねられているのである。現在のところ小泉首相の情勢判断は正しかったように見える。しかし、実際の投票までにはまだ時間がある。いかなる計算でも、時間と人の心という要素をうまく処理するのは難しい。

 第三に、計算がいかに難しくても、首相は解散権を行使する。それは、首相が政治権力という強力な演算装置をもっているからである。もちろん、これが独走すると危険や弊害が出る。そこで近代議会政治は、野党というライバルをこれに配することで競争を生み出し、独走にブレーキをかけつつ有権者の選択肢を広げる、という方法を生み出した。

野党は英語ではオポジション(反対党)という。野党の第一の責任は、政府に対して反対することである。政府の前に立ちふさがって、政策の矛盾点や弱点をつくことである。代案を出すことはその次である。郵政民営化はすべてに通じる、と小泉首相が言えば、すかさず、では東アジアの安全保障問題にどう役立つのか、フランスのように少子化傾向を逆転させることにどうつながるのか、と、わかりやすくしかも厳しく切り込んでいかなければならない。その上で対案を出す。時には論争の枠組み自体をひっくり返す。日本の野党はここが弱い。単純な反対か、政府と同じ土俵に乗った代案提出か、どちらかに偏る傾向がある。マスメディアや世論も、野党に「反対者」としての役割を求めない。

 日本は、「経済一流、政治二流」といわれた。だが、優れた政治家を輩出した英国は、かつて経済の重い病に悩んだ。政治がすべてではないのである。それでも、地球環境から安全保障、福祉から教育まで、政治は私たちの暮らしにさまざまに影響する。だからこそ、政府と反対党が激しく競争することによって政治の質を高めなければならない。今回の選挙は、この、政党政治本来のあり方が問われているように思われる。

競争は万能ではないが、緊張感とアイデアの革新をもたらす。政治において競争を活性化させるのは強力な反対党の存在である。マニフェストは大切であるが、それも、政治は政府と反対党のセットで運営されるという、政党政治の基本理念が共有されて初めて意味を持つ(政党内部の競争も重要だが)。英国では反対党の競争力を高めるために制度的、財政的な措置がとられ、マスメディアもその言動を大きく報じる。今回の選挙で、メディアが政治権力をチェックするどころかしばしばこれに喝采を送り、反対党たるべき野党もこれまでのところ迫力不足という状況を見ると、日本の政党政治に楽観的だった筆者自身が甘かったと反省せざるを得ない。今回の選挙を機に、日本の政党政治に建設的な競争を生み出すにはどうすればよいのか、議論が盛り上がるよう期待する。


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