京都の祇園祭を支えています

 

 

 私は、縁あって、近年京都の祇園祭(メイン・イベントが717日の山鉾巡行)のお手伝いをしています。具体的には、祇園祭の巡行に参加する山や鉾の1つ、蟷螂(とうろう、つまりかまきり)山を支える「蟷螂山保存会」の正式メンバーとして、勤務の都合がつく範囲でいろいろなお手伝いをしています。2010年には山の組み立てや解体・保管作業のほか、一夜で40万人を超える人が集う宵山(よいやま)や宵々山(よいよいやま)の夕べに裏方として警備員などを務めました。今年は交通整理などを担当しました。

 また、昨年(
2011年)には、裃(かみしも)を着けて山鉾巡行にも参加し、都大路を延々5時間にわたって蟷螂山と共に歩き通しました。梅雨の末期で天候が不安定なときが多い祇園祭ですが、この日は気温35度のかんかん照り、文字通り熱く燃えながら1000年を超えて町衆(まちしゅう)の手で引き継がれてきた、日本最大の祭りに参加しました。

 歴史を含めて祇園祭の全体像やそれぞれの鉾や山について知るには、京都新聞が作っている祇園祭の紹介ページが一番いいと思います。

 

 


 2011年7月17日、祇園祭最大のイベントである山鉾巡行に参加しました。先頭から4番目が私です。場所は京都市役所前、後方遠景の山並みは京都市街の東を縁取る東山、すぐ後ろの大きなビルは京都ホテルです。この写真には写っていませんが(次のに写っています)、すぐ左手が京都市役所本館正面です。

 巡行の一員として歩き始めてから既に4時間。ちょっとくたびれています。先頭の人は私の長女と同じ町内に住んでいるフランス人の数学者(京大准教授)で、日本人の奥さんと小学生のお子さん2人と一緒に暮らしています。彼も毎年祭りに参加、数年前には「籤改め」(くじあらため)という大役を外国人として初めて果たしました。



同じく京都市役所前。



今年(2012年)の祇園祭宵山の日。お昼過ぎからずっと交通整理。



 京都市中を進む蟷螂山。御所車の上のカマキリは、31基(2014年からは大船鉾が加わって32基に)ある鉾や山のなかで唯一のからくり仕掛け。ときどき羽を大きく広げ、前足(鎌)を動かします。特に子供たちには大人気。巡行の際には、かまきりが動くたびに沿道から歓声とどよめきが。




 船鉾(ふねほこ)の勇姿。2014年には、これよりも大きな大船鉾(おおふねほこ)が150年ぶりに再建され、巡行に加わることになっています。大船鉾の町内は私の妻の実家があるところです。大船鉾は蛤御門の変(1864年)で京の町が炎に包まれたときにご神体など一部を残して焼けてしまいました。祇園祭の山や鉾は、この蛤御門の変と応仁の乱(1467年~1477年)の時に大変な被害を受けています。

 ちなみに、長男夫婦は菊水鉾(きくすいほこ)という美しい鉾を守る町内に住んでいます。菊水鉾の写真は現在手元にないので、長刀鉾(なぎなたほこ)の写真をどうぞ。四条河原町(しじょうかわらまち)の交差点を豪快に方向転換しているところです。



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