私は1949年5月に福井県武生市(たけふ,2005年に越前市と改名)に生まれました。地元の高校を卒業するまで18年間,その小さな町で過ごしました。小さいといっても,福井県では2番目に大きな町です(私の子ども時代は人口6万人ちょっと,今は合併で約8万人)。福井県自体が人口80万ほどの小さな県なのですが。それから,大学受験に落ちて一浪した予備校時代から大学院を修了するまでの11年間、京都で暮らしました(学部の時も1年留年しています)。京都には今も強い愛着を持っています。
岡山大学に職を得たのは1979年のことですが、就職してすぐ、大学の後輩で当時京都で弁護士をしていた女性と結婚(強制執行されました)、まもなく彼女が倉敷に事務所を構えたので、それに引きずられて同市に転居、それからずっとそこに住んでいます。ただ、その間運良くアメリカ政府のフルブライト奨学金試験に合格したので、1990年から1年少々、ミシガン州アナーバーという町で家族と住んだことがあります。もっとも,そこにあるミシガン大学がアメリカで1,2を争う名門州立大学であることは,恥ずかしながら実際に行くまで知りませんでした。しかも,当時同大学の政治学部はハーバード大学を抜いて全米ランキング1位になっていて、熱気とエネルギーにあふれていたので、日本の片隅でノホホンとしていた私は、その雰囲気に圧倒され、呆然としてしまいました。
しかも、田舎者の私は当時ロクざま英語が話せず、買い物のとき店の人とやりとりするのさえ一苦労だったのに、大学では「フルブライト・プロフェッサー」として何か気の利いたことをしゃべるよう期待され,本当に参りました。アメリカでは、フルブライト奨学金を得た学者がノーベル賞受賞者の次に来るほどの高い評価を得ているということは、それまで想像したことすらなかったのです。フルブライト研究者にも実際には私程度の者も結構いるということが分かるまで、私はプレッシャーに押しつぶされそうになってしまいました。
もっとも、英語など勉強したこともないのにいきなり地元の小学校に放り込まれた上の子どもたちも、最初はとてもしんどかったと思います。また、それまで家事育児の半分以上を亭主に押しつけて弁護士業に精を出していた妻も,これまた全くの専業主婦状態になってしまい,最初は落ち込んでいました。
でも,ミシガンの人々はどなたも親切で,町は治安もよく,私たちも次第にそこでの生活になじんでいきました。まるで森の中にあるような美しくて落ち着いた雰囲気のまちで充実した毎日を送ることができて,今ではアナーバーでの1年間を懐かしんでいます。ただ、当時ゼロ歳だった次女だけは当然のことながら全くその時のことを覚えておらず、自分は損をしたと思っていますが。
いずれにしても、こうして、私には武生をはじめとして京都、倉敷、アナーバーと、すばらしいふるさとが日米に4つもできました。
家族は妻と1男2女ですが、長男と長女は京都で暮らしています。次女は岡山大学の理系学部の学生。そこで、彼女と私たち夫婦の親子3人暮らしとなるはずでしたが、彼女は実験系なので、大学の近くに小さなアパートを借りています。週末などには倉敷まで帰ってきますが、やはり、我が家はempty nest(雛が巣立ってしまった鳥の巣)状態に近づいているといっていいでしょう。
2013年2月には、長男夫婦のところに初孫が生まれました(男の子)。私は文字通り爺さんになってしまったわけです。ただ、大学ではいつも20歳前後の学生さんたちと接しているので,いまだに還暦を過ぎたという実感はあまりありません。そういうわけで,65歳の定年まで,あとしばらく研究・教育で頑張りたいと思っています。
第1の趣味は,学会で毎年1,2回訪れるアメリカで車をぶっ飛ばすことです(今でもアメリカの免許証を更新し続けています)。日本では車の運転があまり好きではないのですが、広大なアメリカを走るのは格別です。もっとも、調子に乗りすぎてアリゾナ州の高速道路で1度パトカーに捕まり、同乗していた家族全員からブーイングを受けました。日本では考えられないことですが、そこはおおらかなアメリカ西部。はるばる日本からやってきたということで、幸いにもそのときは罰金を免除してもらい、助かりました。
あと,音楽ではプレスリー、ビートルズ、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、ビリー・ジョエル,アバなど。Sleepy Man Banjo Boysという10代の兄弟によるBluegrass (アメリカのカントリーミュージックの1ジャンル)トリオも、私にとっては世紀の大発見といっていいほどのすばらしさです。日本のミュージシャンでは、夏川りみやファンモン、ZARD。さだまさしもわりと好きです。琉球ではリンケンバンド、それに特定の人やグループではないけれど、エイサーはいつ聞いてもいいですね。
ところで、2012年8月に、うちの学生さんたちが作る「岡山バトン」という東日本大震災支援の団体が主催した催しが大学のホールでありました。そこでは、学生たちが1週間にわたって受け入れた、福島の小中学生たち(福島市・花柳沙里樹師範主催日本舞踊教室の生徒さん)によって、東北民謡に合わせた踊りが披露されました。私は京都での学生時代に観世流の能のクラブに入っており、また、そこで11年間暮らすうちに京舞の世界にもある程度親しんでいたので、日本舞踊も少しはわかる気がしています。初歩的なものであるにしても、そのような体験から見ると、子供たちの踊りはとてもすばらしかったです。AKB48の曲を用いた創作日舞も斬新でかわいらしく、しかも伝統の優雅さを現代風にアレンジしていて、感心しました。この催しについては、私のホームページの「新着情報」でも紹介してあります。
それはともかく、彼女たちの公演を見て民謡のすばらしさも再認識しました。それで、早速東北地方の民謡集をiTuneで購入、iPhoneで聞いています。その民謡集のなかでは、「津軽あいや節」がその三味線合奏を含めて特にすばらしいです。これを機に、ウン十年ぶりに能の世界にも戻りたいと考えています。
ちょっとマニアックなところでは、ミュージカルの音楽が大大大・大好き。特にCATS(キャッツ)は私が初めて見たミュージカルで、その歌と音楽に入れ込んでいます。キャッツは、学会でニューヨークに行ったとき、開演間近の時間だけ開いているディスカウントチケット・ショップでいい席が半額以下になっているのを運良く手に入れ、見に行きました(その日の学会が終わってからです、念のため)。英語の歌詞はほとんどわからなかったけど、そのパフォーマンスと音楽にすっかり参ってしまいました。ブロードウェーの劇場でDVDを買って家に帰ってから何度も見ました。そして、ますます入れ込んで、Amazon.comでCDを買ってiPhoneに入れ、繰り返し聞いています。英語の歌詞も大体理解できるようになりました(英語上達法の第一は繰り返し聞くことです)。また、家族全員(私を含めて5人)を連れて、東京にあった劇団四季のCATS専用劇場にも行きました(ボーナスをはたきました)。これもすばらしかった。
というわけで、CATSの歌と音楽の日本語バージョンもiTuneで買って、よく聴いています。英語原文にある駄洒落までは訳されていませんが、それでも翻訳は曲にマッチして見事!
昨年の夏には、ミュージカル・Annieを映画版で見てすっかり気に入り、またiTuneで音楽をダウンロードして何度も何度も聞いているところです。有名なTommorrowも大好きですが、Maybeは曲も歌詞ももっと感動的!!!ブロードウェイの劇場でこの作品が長年上演され続けてきた理由がわかりました。英語の勉強にもなります。これでミュージカルへの関心がさらに高まり、この歳になって初めてメリー・ポピンズを見たり、サウンド・オブ・ミュージックをDVDで買い直したり、と、楽しんでいます(ちゃんと勉強しているんですかね、この先生、自分で言うのも何だけど)。
ミュージカルというのではないけれど(そういう微妙な言い回しにならざるを得ません)、Cirque du Soleil(シルク・デュ・ソレイユ、カナダのモントリオール発祥なので、フランス語名です)がラスベガスで出しているパフォーマンスは、その音楽性ともども圧倒的な迫力です。ラスベガスで見たときに劇場の売店でCDを買い、車の中などでしょっちゅう聞いています。ミスティア(Mistere)もすばらしいですが、なかでもカー(KA)はビリー・ジョエルやキャッツと同じぐらいよく聞きます。シルク・デュ・ソレイユにはいくつものチームがあり、最近は日本などアメリカ以外の国でもときどきショーをやるようになっていますね。なお、日本では、その名前が「シルク・ド・ソレイユ」と紹介されることが多いのですが、正しくは、真ん中は「ド」ではなく、「デュ」です。フランス語の文法書を覗いてみてください。もちろん、カタカナでフランス語の発音を完璧に表すことは無理ですが。
家族で初めて行ったときラスベガスで見たブルーマン(Blue Man)・ショーも、度肝を抜くユニークさです。パフォーマンスだけでなく、そのナンセンス・ミュージックは形容しがたいオーラを発しています。これもCDを買い、主としてiPhoneでよく聞いています(もう10年ほど前のものなので、今はたぶん曲が変わっているでしょう)。ブルーマン・ショーは最近東京にも劇場が出来たので、時間(とお金)があったら、そのうちに行きたいと思っています。ちなみに、シルク・デュ・ソレイユもブルーマン・ショーも、英語力をほとんど必要としません。
クラシックはバッハとストラビンスキーです。もちろん、ベートーベンやモーツアルトもときどき聴きます。ベートーベンの交響曲は、ウォルフガンク・サバリッシュの指揮が一番。サバリッシュさんは残念ながら今年(2013)の2月に亡くなりましたが。また、ベートーベンのピアノ協奏曲「大公」は、聞くたびにうっとりします。
話は変わりますが、子どもたちが高校時代,弁当はすべて私が作りました。また、回数が減ったとはいえ,今も週2,3回は夕食を作っています。それを知っている人たちからは料理も趣味だと思われていますが,実は好きでやっているのではありません。作る以上,ある程度の工夫はしますが。チーズとトマトを隠し味に使った野菜とソーセージいっぱいのポトフーやオリジナルのイタリア風チャーハン、手間がかかるので滅多にしませんが春雨と挽肉の蒸し物、ジャガイモと豚バラの洋風煮込み、それに天ぷら(カリッとあげるのは意外にむずかしいんですよ)などは、自分でもなかなかの腕だと思っています。そんなことに時間と頭を使っているので、肝心の研究の方はお留守になっているのですが。
(やっぱり!)(笑いと涙)
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ハローウィンの日の我が家前で (1990年10月、アナーバー市内)) |
ハローウィンの 仮装行列 (子どもたちの小学校前で) |
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