二万大塚古墳 第2次調査 概要報告
目次へ
前ページ(5 勝負砂古墳試掘調査)へ


  結  語

 今回の調査では、北くびれ部の造り出しの全体を明らかにすることと、横穴式石室の床面を完掘し、副葬品の全貌を知ることが大きな目的であった。造り出しについては比較的残りの良い円筒埴輪列を確認するなど、予想を上回る成果を得ることができた。石室からは豊かな副葬品が出土しているが、まだ床面を完全に検出するにはいたっていない。

 二万大塚古墳は、全長約38mの前方後円墳で、後円部に横穴式石室をもち、墳丘の北側に造り出しを伴っている。墳丘の下段は主に自然の高まりを削って墳形を整えており、上段はほとんどが盛土となっている。出土した須恵器などから、6世紀中頃に築造されたものと推定される。

 石室は、南に開口する両袖式の横穴式石室で、羨道の開口部が多少失われている可能性があるが、現状では全長9.07mをはかり、玄室長4.7m、玄室幅約2.3m、玄室高2.58mとなっている。側壁は6、7段に積まれており、下段には、比較的面の整った石を横長に用いているが、上半ではあまり形が整わない石を、やや乱雑に積んでいる。吉備地域の横穴式石室のなかでは比較的古い例となり、吉備中心部では、横穴式石室を伴う前方後円墳としては最古のものである。

 北のくびれ部では造り出しの全貌が明らかになり、後円部から前方部に続く円筒埴輪列と、そこから造り出しに延びる埴輪列が確認された。造り出しの上からは、家形埴輪や人物埴輪などと須恵器が、原位置を推定できる状況で出土しており、造り出しで行われた祭祀の様相を復元することのできる良好な資料となった。このような造り出しをもつ前方後円墳は、6世紀の吉備地域ではほとんど確認されていない。なお、地形から南側にも造り出しがある可能性が考えられたが、調査の結果、それを示すような遺構は確認できなかった。後円部の東斜面では、墳端が確認されている。

 このように、二万大塚古墳は、一昨年まで調査していた天狗山古墳よりおよそ2世代ほど後に位置づけられ、箭田大塚古墳に先行するものとなる。帆立貝形の天狗山古墳とは異なり、伝統的な前方後円墳の墳形を採用し、整った造り出しをもつなど古い要素を受け継ぐ一方、横穴式石室をいち早く取り入れるなど、新しい要素も兼ね備えているという被葬者の性格が浮かび上がってきた。

 勝負砂古墳に周溝が確認されたことで、前方後円墳の可能性が高まったが、遺構に確実に伴う遺物がはっきりしないため、時期を限定するまでには至っていない。天狗山古墳や二万大塚古墳を含む首長系列のなかで重要な意味をもつと考えられるので、今後の調査が必要である。