二万大塚古墳 第三次発掘調査 概要報告

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  結  語

 今回は、二万大塚古墳の完掘をめざし、北くびれ部周辺の補足的調査と前方部隅の調査、および横穴式石室の床面の完掘と石室の実測を終了させる予定で作業を開始した。しかし、石室内から多量の玉類等が出土し、期間内ではベルト部分の調査も実施できない状況となり、石室の完掘を次年度に持ち越すこととなった。

 二万大塚古墳は、全長約38mの前方後円墳で、後円部に横穴式石室をもち、墳丘の北側に造り出しを伴っている。墳丘の下段は主に自然の高まりを削って墳形を整えており、上段はほとんどが盛土となっている。出土した須恵器などから、6世紀中頃に築造されたものと推定される。なお、墳丘の南側に造り出しがある可能性は低く、前方部に横穴式石室をもつ可能性もきわめて少ないことがわかっている。

 
墳丘においては、ほぼ当初の目的を達成することができ、前方後円墳の規模と構造に関する必要な情報を得ることができた。前方部南隅の発掘を実施しなかったため、前方部幅についての厳密な数値を得るには至らなかったが、測量図からの推定は十分可能であると思われる。円筒埴輪列についても、昨年度までの調査では、造り出しからはなれるにつれて依存状況が悪くなることが確認されていたので、後円部北トレンチや前方部北トレンチで埴輪列が確認される可能性は高くないと予想されたが、幸い比較的良好な状態で確認され、円筒埴輪の据え方に関する詳細な観察を行うことができた。

 石室は、南南西に開口する両袖式の横穴式石室で、羨道の開口部が多少失われている可能性があるが、現状では全長9.07mを測り、玄室長4.7m、玄室幅約2.5m、玄室高約2.5mとなっている。側壁は6、7段に積まれており、下段には、比較的面の整った石を横長に用いているが、上半ではあまり形が整わない石を、やや乱雑に積んでいる。吉備地域の横穴式石室のなかでは比較的古い例となり、吉備中心部では、横穴式石室を伴う前方後円墳としては最古のものである。

 石室からは、今回、獣形鏡と思われる銅鏡1面と、700点を超える玉類、2点目の大型の馬鈴など、多量の副葬品が出土した。鉄地金銅張りの雲珠や多数の馬鈴を伴う金銅装馬具がみられ、この地域の首長墓としては最高レベルの馬具のセットであることが明らかになった。刀装具については、一部に青銅製の金具を伴っているが、現状では馬具に比して比較的簡素なものであると考えられる。鎹や釘が出土しており、木棺が用いられたものと思われるが、木棺痕跡を確認することはできなかった。床面から多量の炭片が出土していることと関係するかもしれない。

 二万大塚古墳は、このプロジェクトで最初に調査した天狗山古墳よりおよそ2世代ほど後に位置づけられ、箭田大塚古墳に先行するものである。帆立貝形の天狗山古墳とは異なり、伝統的な前方後円墳の墳形を採用し、整った造り出しをもつなど古い要素を受け継ぐ一方、横穴式石室をいち早く取り入れるなど、新しい要素も兼ね備えているという被葬者の性格が注目される。

 勝負砂古墳では、昨年度に引き続き、周溝の可能性がある遺構が確認されたが、溝底まで後世の遺物が混じっており、古墳の築造年代を把握することはできなかった。発掘に先立つ探査で、横穴式石室などの石を用いた埋葬施設は存在しないという結果が出ており、古墳の性格についてはなお不明確な点が多いと言わざるをえない。