二万大塚古墳 第三次発掘調査 概要報告

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  5 勝負砂古墳第3次調査

 
調査目的 調査前に、西村康氏(奈良文化財研究所)に墳丘上および墳裾のレーダー探査を依頼し、2月18・19日に実施した。その結果、埋葬施設の把握はできなかったが、南側墳裾に溝状遺構が存在する可能性のあることがわかった。そこで、本年度の調査では、昨年度の第3トレンチで検出された溝状遺構が後円部と考えられる部分をめぐるかどうかの確認、墳丘に伴う遺物からの築造時期の確定という2点を主目的として、溝状遺構の反応がみられた南側墳裾に2×10mでトレンチを設定し、第4トレンチとした。

 
第4トレンチ 第4トレンチでも、第3トレンチと同様の溝状遺構が確認された。墳丘斜面下端から溝状遺構の落ちの肩まで続く平坦面は、その上面から江戸時代以降のものと思われる染付片が出土したため、それ以降の改変の結果と考えられる。

 
溝状遺構は、流入土最下層である暗黄褐色土層中から古代以降のものと思われる竈片が出土したことから、少なくとも古代以降に底面近くまで人為的な行為が及んでいる可能性が高い。溝状遺構の底面にあたる部分では性格不明の被熱土壙が検出された。検出面は溝状遺構の底面の地山面である。長径101p、短径83pの楕円形を呈し、深さは16pを計る。壁面は被熱のために赤変し、埋土下層は炭化物と焼土を大量に含んでいた。上層には乳児頭大の礫が充填され、その間に溝状遺構下層流土の暗褐色土が流入していた。

 
溝状遺構の出土遺物には、弥生土器片・土師器片・埴輪片・須恵器片・黒色土器片・竈片・土鍋片・不明鉄器片などがある。埴輪片は、タテハケのみを施すものとヨコハケの認められるものがある。須恵器片は、TK43型式〜TK217型式以降と時期幅が広く、どの遺物が古墳に伴うのか判別できない。

 
まとめ 第4トレンチの調査結果から、昨年度想定されていた周溝の存在は確定的でないものとなった。また、築造時期に関しても、遺物の時期幅が広く、特定することができなかった。勝負砂古墳の性格について、課題を残す結果となった。



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