勝負砂古墳第4次調査・二万大塚古墳第4次発掘調査 概要報告

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3 勝負砂古墳の調査成果

 今回の勝負砂古墳の調査では、後円部と考えられる墳丘主要部にトレンチを設定して埋葬施設の有無や内容を確認すること、および、前方部の南側(側面)および西側(前端)において周溝の存在を確定して古墳の形状を把握することを主目的とした。

 その結果、現在の墳丘頂から約3.4mの深さに、礫と粘土から構成される遺構が存在することを確認した。この遺構は、現状では石室などの埋葬施設の被覆の一部であると考えられ、詳細はいまだ不明であるが、現状ではほぼ墳丘主軸に沿う形で伸びていると判断される。さらに、これが石室などの埋葬施設であるとすれば、墳丘構築後に墓壙を掘ってその底部に埋設したものではなく、墳丘構築前に設置してその上に盛土を施したものであった可能性が高い。

 前方部とみられる部分の周辺の調査では、昨年度までの調査で墳丘南側裾にめぐると考えられていた溝状の遺構が古墳に伴うものではなく、近世以降の溜池であることがほぼ明らかとなった。いっぽう、前方部とみられる部分の前端部に当たる西側にはそれとは別と考えられる溝状の落ち込みがあり、埴輪片や須恵器片などが出土した。ただし、埴輪片と須恵器片とのあいだには型式学的な時期差が想定され、またそれらが流入してきた方向も明確にできなかったため、それらの両者あるいはいずれかが勝負砂古墳に伴うものである確証はいまだ得られていない。さらにいえば、現在前方部と目される部分が、埋葬施設を内包するらしい後円部と考えられる部分と同一の墳丘として連接しているかどうか(つまり勝負砂古墳が前方後円墳であるかどうか)についても、現状では完全に確定しているといえないのである。

 それらは、埋葬施設の確認とともに、今後の調査で一つずつ着実に解明していかなければならない問題である。ただし、今回の調査において、勝負砂古墳が一定の規模の埋葬施設に大規模な盛土を施した「首長墓」クラスの古墳であるらしいことはほぼ確実になった。また、墳丘南側の平坦面は築造当時の状況をほとんどとどめていないことが判明するなど、今後の調査の具体的計画を立てるための基礎的な情報を得ることができた。来年度以降の調査で、埋葬施設や墳丘のさらに詳細な調査を進めることによって具体的な性格を明らかにし、「雄略朝」期およびそれ以降の吉備地域の歴史の解明に寄与できることを期待したい。



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