勝負砂発掘辞典

 
 コンター  等高線のこと。 

 
 周溝  水をたたえるのが周濠とよばれるのに対し、水をたたえないもの。古墳の周囲を区画するなどの意味がある。勝負砂古墳では、北側に、墳丘の形に沿って周溝がめぐることがわかっている。ちなみに、天狗山古墳・矢形こぐろ古墳にも馬蹄形の周溝がある。 
 勝負砂古墳  墳丘長約42mの帆立貝形古墳。2000年から現在に至るまで岡山大学考古学研究室が発掘調査を実施している。 

 
 須恵器  高温で焼成された、青灰色を呈する古墳時代中期〜平安時代のやきもの。古墳時代中期に朝鮮半島南部から伝わった技術でつくられている。古墳時代における一大生産地は大阪南部の「陶邑古窯址群」で、ここの資料が全国の基準となっている。 

 
  セクション  土層の断面。どのように層が堆積しているかを見ることができ、これを慎重に観察することによって、その土地がどうやって形成されたかなどを読み解くことができる。 
 先行トレンチ  トレンチ内の一部分において、他の部分より先行して掘り下げること。より慎重な掘り下げが必要なとき、また調査が行きづまった時などに、その先の情報を知り、より丁寧に、効率的に作業を進めるために設けられることが多い。 

 
 タチワリ  遺構検出面よりさらに限定した範囲内で掘り下げること。その遺構の、さらに詳細な情報を得るために、また遺構面と判断した面が正しいかどうかを確認するために行われることが多い。 
 竪穴式石室  古墳時代の代表的な埋葬施設の一種。埋葬後に上に天井石・木蓋を架して封鎖し、原則的に追葬ができない構造の石室。古墳時代前期は棺を置き、後から壁を築く長大な石室が一般的だが、中期になると石室を先に築いた後に、木棺を設置するものも出てくる。 

 
 天狗山古墳  岡山県倉敷市真備町南山に所在する全長約68mの帆立貝形前方後円墳。1999〜2000年まで岡山大学考古学研究室が発掘調査を行なった。かつて、大正末年から昭和初年にかけて地元住民による発掘されており、保存状態の良好な挂甲・馬具などが出土している。墳頂下約5mの深いところに竪穴式石室をもち、勝負砂古墳との関係が示唆される。 

 
 ドーム状の盛土  勝負砂古墳の墳頂を1.5mほど掘り下げると径約1.5mの円形の平坦面があり、比較的均質な赤色の盛土で裁頭円錐形に成形されている。中途の成形面としての意味があったと考えられる。 
  トレンチ  本来は『試掘溝』といった意味。岡山大学考古学研究室では『調査区』といった意味で用いている。 

 
  二万大塚古墳  岡山県倉敷市真備町に所在する墳丘長約38mの横穴式石室をもつ前方後円墳。2001〜2004年まで岡山大学考古学研究室が発掘調査を行なった。横穴式石室には飾り馬具・武器・須恵器などが納められていた。墳丘北側には造り出しがあり、土器や埴輪が多量に出土している。副葬品や土器、埴輪からは6世紀中頃の年代が考えられ、天狗山古墳に後続すると考えられる。 

 
 粘土槨  古墳時代前期中ごろから中期にかけて多くみられる埋葬施設の一種。墓壙に納めた木棺の上下四周を粘土で包み覆った埋葬施設。 

 
 埴輪  古墳の墳頂・段築平坦部・造出・外堤などに立て並べた土製品。筒形の円筒埴輪、朝顔形円筒埴輪、威儀具をかたどった器財埴輪、人物埴輪、動物埴輪などがある。筒形の埴輪はもともとは弥生時代の特殊な器台に端を発する。古墳時代前期には円筒埴輪・朝顔円筒埴輪が主流で、のちに器財埴輪・動物埴輪・人物埴輪が出現する。古墳時代の全期間にわたって使用されており、円筒埴輪・朝顔形円筒埴輪は古墳の築造時期をもっとも直接的にあらわすものである。 

 
 葺石  墳の墳丘斜面に葺いた石ないしそれを葺いた状況。 
 墳丘主軸  墳丘の中心を通るように設定する、古墳の中心線。等高線測量図に基づいて設定され、調査の基準となるもの。主軸と略すこともある。 

 
 帆立貝形古墳  円形の主丘に略方形の張り出しをつけて全体の平面形が帆立貝形になる古墳。前方後円墳・造り出しつき円墳との判別が難しい。 

 
 木棺直葬  割竹形木棺や組み合わせ木棺を墓壙に納める埋葬施設の一種。粘土槨とは異なり、粘土によって包み覆われることはなく、墓壙に直接木棺が納められる。 

 
 矢形小ぐろ古墳  天狗山古墳の南西方向に位置する。全長約30mの帆立貝形前方後円墳、後円部、前方部に大きく乱掘坑があいている。馬蹄形の周溝らしきものももち、天狗山古墳とほぼ同時期と考えられ、勝負砂古墳との関係が注目される。小ぐろ古墳に対して、天狗山古墳は別名大ぐろ古墳と呼ばれていた 

 
 横穴式石室  古墳の埋葬施設の一種。羨道と出入り口を備え追葬が可能な石室であり、6世紀前半に近畿中央部で一般化する。 



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