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沿革

 

 岡山大学医学部の前進である岡山県医学校は、当時国から高い評価をうけ、明治21年国立の第三高等中学校医学部となり、その翌年に岡山医学会が設立された。
 岡山医学会が設立される以前(明治20年前後)から、岡山県医学校の学生であった高坂駒三郎らが中心となって、有志の学生が高坂の下宿していた国清寺の書院に集まり、ドイツ語の講習から始まって、医学に関連した問題について勉強会を開いていた。
 同じころ学生の矢野恒太、岸 美之三、石井十次、越智豊太郎、江良郁二らも医政問題を研究する会を開いていた。
 国立の医学部の誘致には、これら岡山県医学校の有志が一団となって理医学攻究会という会名のもとに団結し、運動を展開した。
 その本部は、高坂のいた国清寺におかれ、高坂の編集した機関誌も発行されたが、10頁ほどのもので2〜3号で廃刊となった。
 このような学生の運動を好意的に支援していた学校側は、研究発表機関の必要性から学生と協議して、岡山医学会が設立された。
 以上のような経緯を経て設立された岡山医学会は、明治22年2月25日に第一回岡山医学会が、第三高等中学校医学部講堂で開催され、同22年10月には岡山医学会会則が制定されるとともに、同年12月13日医学会雑誌第一号が発刊された。この記事によると、医学生、教官、開業医からなる会員は、190名に達していた。

 

 

 

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