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沿革

1.解剖学教室の始まりと講座分離まで

岡山大学医学部の前身は、岡山藩医学館(1870年、明治3年)に始まる。当時すでに解剖学の学課目がありオランダ人ロイトル教師により講義がなされたとの記録がある。

明治23年(1890年)に、第三高等中学校医学部(脚注1)建物が内山下に新築されたときに、解剖学教室の体をなすに至ったとされている。当時の解剖学の専任教官は、拓殖宗一教授、吉村祥二教授であった。

明治31年、足立文太郎教授、次いで明治34年、上坂熊勝教授が引き継ぎ、明治40年、八木田九一郎助教授が教授となり二教授時代となった。

大正11年に岡山医科大学となったときに、敷波重治郎教授が迎えられ三教授の時代となった。その後、昭和7年に上坂教授が退職し二教授となり、敷波教授が退職された昭和16年、関正次助教授が教授に就任した。

昭和18年に八木田教授退職にともない浦良治教授が着任した。このころ、解剖学教室における講座分離が明瞭となり、第一・第二解剖学教室の分離誕生を昭和18年(1943年)としている。

脚注1:明治34年に、岡山医学専門学校となり、大正15年に現在の鹿田地区へ移転した。

2.第一解剖学教室(1943年〜2000年)から細胞組織学分野へ

初代 関正次教授(在職1941〜1960年):

関正次教授は、助教授時代(上坂教授師事)から、組織の染色理論(生体染色、鍍銀法、リポイド染色など)についての研究を行った。その集大成が著書「組織検査法と物理化学」である (昭和26年)。その後、組織化学の研究に発展し、電子顕微鏡による膠原線維の構造の研究、結合組織の免疫反応に関する研究など多岐にわたる研究を行った。前述の著書以外に「組織学」(昭和29年)、「胎生形態学」(昭和33年)を執筆した。「日本組織学記録」(昭和25年創刊)の編集や「日本組織化学会」(昭和34年創立)の実務にも尽力した。

二代 尾曽越文亮教授(1961〜1969):

組織における細胞増殖の定量に関する研究のほか、細網線維の形態と機能に関する研究、抗原刺激に対するリンパ組織の反応についての研究など免疫系に関する研究を主に行った。

三代 大塚長康教授(1970〜1990):

シナプスの超微細構造についての研究、心臓刺激伝導系の電子顕微鏡的研究など、神経組織や心臓に関する研究を主に行った。

四代 佐々木順造教授(1991〜2011):

大塚教授の時代から、講師・助教授として長年にわたって医学教育と研究の中核を担った。肥満細胞の分泌顆粒の電子顕微鏡的研究に始まり、活性酸素関連分子種の生殖器における発現解析とその生理機能の解析、麻酔薬による肝毒性発症機構の組織化学的解析など、in situハイブリダイゼーションや免疫組織化学による遺伝子産物の組織内局在を同定する手法を駆使した研究を行った。2001年、大学院重点化の改組に伴い、旧医学部第一解剖学教室より現在の細胞組織学分野が新しく発足した。

五代 大内淑代教授(2012〜)に至る。

参考文献:

  1. 岡山大学医学部百年史(昭和47年)