勝負砂古墳第4次調査・二万大塚古墳第4次発掘調査 概要報告

もくじへ

前ページ(1.墳頂部トレンチ)へ


2.前方部トレンチ

 本調査区では、昨年度までの調査で確認された周溝と考えられる溝状遺構の形状、および墳形の把握を目的として、Aトレンチは墳丘主軸から1m幅で18ライン沿いに南に15mで設定した。Bトレンチは墳丘主軸沿いに1m幅で20ラインを挟んで東に1m、西にmで設定したが、土層の状況をより詳しく検討するために調査中にさらに東と西にそれぞれ1×1mずつ拡張した。

 Aトレンチの墳丘部分では、地山を削り出した上に盛土を重ねた状況が認められたが、この盛土内から埴輪片、須恵器片が出土したため、勝負砂古墳築造時に盛られたものかは断定できず、その点については今後の調査によって明らかにしていかなければならない。調査区南側の墳裾部分では、後世に造られた溜池の跡が検出され、昨年度確認された溝状遺構も位置的に溜池の跡であった可能性が高いと考えられるが、一昨年度の溝状遺構に関しては、まだ周溝の可能性も考えられ、今後も十分検討していきたい。出土遺物としては、陶磁器片、瓦片、土器片、須恵器片、埴輪片が出土しているが、古墳時代の遺物は少なく、本古墳に伴うものかは断定できなかった。

 Bトレンチでは、厚く堆積した畑の造成土の下から溝状遺構が確認されたが、これが周溝であるとの確信は得られなかった。溝状遺構内からは埴輪片が多数出土しているが、これらの埴輪片についても、勝負砂古墳に伴うものか断定するには至っていない。その他に灰褐色土層の上層から雁股式鉄鏃が一点出土している。また、須恵器片、土器片が少量出土している。溝状遺構内の流土の堆積状況と、黄橙褐色土層の下層から瓦片が出土していることから後世の削平をうけていることも考えられるが、周溝であるならば前方部はほぼ現状の通りの短いものであったと推測される。この溝状遺構の時期や出土している遺物と勝負砂古墳との関係については今後の調査の課題である。





次ページ(2出土遺物1.埴輪)へ