97年3月31日(月曜日)
現地調査最終日
研究会や休養日以外の荒天で作業を中止したのがたったの2.5日という、
珍しく天候に恵まれた(休めなかった!?)現地発掘調査もいよいよ終わりです。
発掘調査 今日までの成果
東塚西トレンチでは、東塚の墳丘がいったん造られた後、列石の作り直しを含む
墳丘全体の修築が一度あり、さらに墳丘の西辺ではその後2度の列石の構築が
あったことが確実になりました。当初の墳丘に加えて三度の修築があったことになります。
西塚北トレンチではトレンチ全体にわたって赤色変成岩の岩盤まで掘り下げ、土層の観察を行いました。
まるで旧石器遺跡の調査のような深さ2メートルに及ぶ深掘りでしたが、これによって
西塚の墳丘構造解明のための貴重なデータを得ることができたと言えます。
西塚石室では石室実測図を完成させました。また、西塚前庭部では石室実測にともなう
図面作成を完成させたほか、開口部の初期の列石と修築時の列石、追葬面、さらには東塚
の修築列石と西塚の各列石との相互関係の追究にめどが立ちました。
分布調査
中津井地域の分布調査は、土井地区で新たに横穴を発見したほか、遺跡地図記載の土井横穴群すべてについて、
略測図・地形測量図の作成を行いました。また、下村地区の下村横穴内部の簡単な記録を取り、
その付近でも新たな横穴を発見しています。
おまけ
埋め戻し
発掘最後の難関が埋め戻しです。研究室の発掘はすべて手掘り。一ヶ月間にわたって積み上げてきた
排土の山をすべてトレンチに戻すわけですが、ここで「チリも積もれば山となる」という言葉を痛感するのです。
当然埋め戻しも人力。一輪車や箕をフル稼働させ、時には雄叫び、絶叫しながらひたすら土を運びます。
なかには図面作業がまだ終わっておらず、半分埋められかけそうになっている人の姿もあったりなんかして。
はっきり言って埋め戻しはしんどい。反面単純作業なので楽しいと感じる人もいたり・・・。「先輩!
わかりました。発掘というのは楽しいもんですね」土掘りの時はブーブー言っていた一年生の、
埋め戻しを終えてからの弁でした。
今日の埋め戻し作業は午後6時半に終え、7時ごろに現地撤収、岡山帰着は8時半。みんな、お疲れさま!!
さて、「最近のようす」の更新も今日が最後です。冒頭で「発掘現場のようすを現在進行形でお伝えします」
と言っていた割には、理想の現在進行形とはかけ離れた更新状況だったのが反省点の第1です。当初は
半分見切り発車で始まった企画だったこともあり、調査が始まってからハード的な不具合が表面化しました。
結局当てにしていた回線がうまくいかず、たまに岡山に帰ったときにばたばたと打ち込んだり、
ファイルを差し替えたりせざるを得なかったため、内容も薄いものになってしまいました。そういう意味では
利用者の方にとっては、大変わかりづらかい速報になってしまったのかもしれません。それとやっぱり「デジカメ」
があればよかった。あるのとないのでは、情報量や伝達効果に決定的な差が出ることを痛感しました。そして
、何を書くべきか、という問題。表現方法など、インターネット上での情報公開のありかたについて、
これからも研究を続けていきたいと思います。
なお、4次速報は一部の画像入力を4回生・津村宏臣が行い、
その他の構成・入力・編集は同・藤井裕之が担当しました。
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