沿革

細菌学講座は、1974年(昭和49年)に微生物学講座が細菌学講座とウイルス学講座に二分され、金政泰弘教授を初代教授として設立された。開講時は金政先生の先輩でもあった俵 壽太郎教授が主催されるウイルス学講座に同居していたような状態であったが、1976年(昭和51年)に旧学生実習室を改装して独立した研究室が完成した。研究は「ブドウ球菌の耐塩性機構」の解明を中心に、「マイコプラズマの病原性解析」、さらにはビルマ(現ミャンマー)やスーダンへの医療協力事業を進めるに伴い下痢原性細菌の研究も進めた。金政教授は、1976年(昭和51年)に日本細菌学会中国・四国支部総会、1977年(昭和52年)に第22回ブドウ球菌研究会、1988年(昭和63年)瀬戸大橋開通の年に第61回日本細菌学会総会を、1990年(平成2年)には第4回日本-中国微生物会議を開催すると共に、1987~1989年(昭和62~64年)には医学部長を務めた。これらのことから、退官の年(平成3年)には、山陽新聞学術功労賞と岡山県の三木記念賞を受賞した。

1992年(平成4年)、北海道より小熊惠二教授が就任した。2001年(平成13年)、大学の組織再編に伴い、病原細菌学分野となった。小熊先生は、「ボツリヌス毒素の構造と機能」、「ヘリコバクター ピロリと胃・十二指腸疾患」、「レンサ球菌とベーチェット病の関係」などを研究し、1993年(平成5年)に第40回毒素シンポジウム、1996年(平成8年)に第49回日本細菌学会中国・四国支部総会、2003年(平成15年)に第12回Lancefieldレンサ球菌研究会、2005年(平成17年)に第11回日本ヘリコバクター学会、2006年(平成18年)に第76回日本感染症学会西日本地方会総会を開催した。平成17年には日本細菌学会の最高の賞である浅川賞を受賞するとともに、同年より医学部長を務めた。また、金政先生が援助されていたミャンマーの研究所と共同研究を進めてきた。2012年(平成24年)3月、定年退任後も引き続き研究と海外支援に活躍している。

2012年(平成24年)、北里大学より松下 治教授が就任した。松下先生は金政先生の門下生であり、「ガス壊疽菌群が産生するコラゲナーゼを応用した創薬」、「ビブリオ菌のコラゲナーゼ発現制御機構の解明と治療薬開発」などを研究テーマとしている。クロストリジウム属を扱う共通点もあり、「ボツリヌス毒素の検出法の開発と治療への応用」についても引き続き研究を行っている。また、米国やインドネシアの大学との国際協力を積極的に進めている。