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岡山大学 耳鼻咽喉・頭頸部外科Department of Otolaryngology-Head & Neck Surgery

学生・研修医の皆さんへFor Students & Residents

先輩からのメッセージ

丸中 秀格 (2002年 岡山大学卒)

現職:国立病院機構 岡山医療センター 耳鼻いんこう科 医長(診療科長)
略歴:2002年岡山大学弓道部卒業。同年岡山大学耳鼻咽喉科教室に入局。岡山大学・福山市民病院・津山中央病院・香川労災病院・岡山医療センターを経て、2017年岡山大学病院助教。同年岡山大学大学院卒業。2021年より現職。

耳鼻咽喉科医になろうとしたきっかけ・岡山大学に入局したきっかけ

 思い返せば私は小さいころから鼻と耳が悪かった。鼻から黄色い鼻水がいつも垂れていて、ポケットティッシュが手放せない体であった。母親にお金を渡され自転車で20分かけて近所の耳鼻科に通い、鉄の棒を突っ込まれ鼻水を吸い出され謎の蒸気を吸っていた当時の記憶がある。今思えば副鼻腔炎だったのであろう。耳鼻科での処置はとても気持ち悪かったが、通院した帰り道はいつもより倍くらい鼻が通って気持ちよく自転車を漕いで帰っていた。母親曰く、よく中耳炎にもなっていたらしい(こちらはまったく記憶にない)。

 入局を決めた当時は今の研修医制度が始まる前だったので、医学部の6年生で一生の選択科を選ぶ必要があり、そんなこんなで小さい頃から耳鼻科でお世話になっていた私は「医者といえば(聴診器より)オデコに額帯鏡をつけているイメージ」だったし、最後のポリクリが耳鼻科で運命を感じたため、耳鼻科医になることを決心した。

 他にも「手術ができる科」であること、見る範囲は全身ではないが守備範囲内は「外科的なことも内科的なことも全部できる」こと、「開業もできるよ」といわれたこと、「独り立ちが早い」こと、比較的「一人で完結できる職種(一人医長もある)」であること、岡山出身ではなかったが卒試・国試の準備が忙しかったので地元に帰るのが面倒だったこと、また先代教授の西﨑和則先生が弓道部の先輩だったため、もしかしたら優遇されて甘い汁が吸えるのではないかと夢見た(実際は甘い汁は吸えなかった・・・)ことなど様々な理由で耳鼻科を選択し、岡山大学耳鼻咽喉科の医局の扉を叩いたのが2002年の春でした。

入局してよかったこと・現在のお仕事

 入局してよかった事をあげると、思っているよりかなり早く執刀が回ってきたこと、想定通り独り立ちが結構早く、病院の耳鼻咽喉科の責任者も若いうちからなることができたこと、また医局員に下品な人が少ないことだと思う。全体的に自分が思い描いたイメージ通りの診療科であった。

 入局した時、私には一人前の耳鼻科診療医となること以外にも夢があった。それは「味の素」を超える究極の調味料を作ることだった。舌癌で舌切除を受けた人でもおいしいと感じられる魔法の薬(調味料?)を作ることが夢であったが、その夢は叶えることができなったことは後悔しているが、それ以外はおおむね入局して満足のいく耳鼻科医人生を送っていると思う。ちょっと転勤回数は多かった気はするが・・・

 現在は岡山インター近くに位置する国立病院機構 岡山医療センターで勤務し、慢性炎症性疾患・腫瘍性疾患・急性疾患を治療している。

皆さんへのメッセージ

 耳鼻科楽しいよ。外科的なことも内科的なことも、勤務医的な仕事も開業医的な仕事もできる。私は耳鼻科に入局したことを後悔していません。皆さん一緒に耳鼻科で仕事しませんか?