No.14 『夢をつかむ力』を養う美術教育
No.14 『夢をつかむ力』を養う美術教育
大学院教育学研究科 清田 哲男 准教授
図工や美術の授業は、テクニックの訓練や芸術鑑賞の時間と捉えられがちですが、大学院教育学研究科の清田哲男准教授はこれらの授業を「目標を自ら見つけ、試行錯誤によって達成する力-『夢をつかむ力』」を養う場として再定義。この力を育てるため、「自分に似ていると思うものを探して写真に撮ってみる」、「高齢者が楽しく食事できるような食器を作り、実際に高齢者に使ってもらう」といったユニークな授業を、多数の学校と協働で考案・実施しています。
-『夢をつかむ力』とは、具体的にどのようなものでしょうか。
自分のもつ価値観の外に新しい価値を見つけ、その価値を自分の力で獲得しようとすることは、各自の幸せを実現するために不可欠です。しかし、やり方が分からなかったり怖かったりで困難を伴います。そこで、美術や図工の授業で、子どもたちの価値観の外に新しい価値として「題材」をそっと置くことで、一歩踏み出してそれを自分の力で掴み取る練習ができるのではないかと考え、組み上げた授業プログラムが「ANCSモデル」(Art education Nurturing Creativity through encounters with Society:創造性が社会と出会う造形教育)です。これは、夢をつかむ力を「自己の深まり」、「共感性」、「深く見つめる」、「社会への広まり」という4つの視点から捉え、育てていくというものです。
授業の例を挙げると、中学3年生向けに考案した題材の一つに、高齢者の方が楽しく食事できる食器を考えるというものがあります。子どもたちは自分たちでデザインした食器を土をこねて作り、それを焼いて、完成した食器を実際に養護施設の高齢者の方に使っていただきます。そこで感想を聞き、それを元に再度新しい食器を作る・・・という流れです。
高齢者のもつ価値観は、当然子どもたちがもつものと大きく異なります。喜んでいただくには、自らの価値観の外へと想像力を働かせたり、高齢者の方の様子をよく観察し、知らなかったことを知ったりする必要があるでしょう。もちろん、思い描いたとおりの食器を作るためにはテクニックも大事です。これらを積み重ね、繰り返し食器作りに挑戦することで、初めて高齢者の方に喜んでいただくという「夢」を達成できます。
やりたい夢を見つけ、そのための課題を発見し、試行錯誤を重ね、目標を達成して自信をつけていく。これを実行する力が『夢をつかむ力』です。特定の科目にとらわれない力ですが、特に図工や美術は作品が形に残るため、試行錯誤の過程や達成感を積み重ねやすく、この力を育てるのに適しているといえるでしょう。
―このモデルはどのような経緯でできたのでしょうか。
きっかけの一つに、将来の図工や美術教育への危機感があります。これらの科目の授業時間数はどんどん削減されつつあります。しかし長年美術教育に携わった経験から、これらの科目こそ、課題を自ら発見し、解決する力の基礎をつくる重要な場であると思っており、その有用性を広く知ってもらう必要性を感じていました。
もともと図工や美術教育は、決められた単元通りに進めなければならないものではなく、子ども一人一人の能力や習熟度を考えて内容を決めていくべき科目です。しかし、どうしても先生によって引き出しの数や使える教材は異なってくるため、学校によって授業の質は大きく異なります。エビデンスを集め、効果的な授業の方法についてある程度統一した授業の手法を構築する必要がありました。
そこでまず、2010年頃から、全国で図工・美術教育に携わる小学校から高校までの先生方と協議し、美術教育によって養うべき力とはどのようなものかを考えました。そこで挙がったのは、「自己肯定力に基づく自己決定力」、「チームで協働するために必要な共感性」、「価値観の異なる人と関わるための社会性」、「ものの本質を捉える観察力」の4つでした。これらは偶然にも、特別の教科道徳の学習指導要領で示されている「四つの視点」と近い概念で、科目の枠を越えて普遍的に必要な力といえます。協議で得た意見を基に、2014年頃から岡山大学の美術教育専攻の先生と検討を重ね、構築したのがANCSモデルです。
―ANCSモデルには、他にどのような授業があるのでしょうか。
中学1年生向けに、学校内や日常生活で「自分に似ている」と思うものを自由に写真に撮り、その理由を説明させるという授業があります。他者の視点から自分の姿を見つめ直す機会となります。花のつぼみを選んで「成長している途中の自分に似ていると思った」と話す子がいたりして、子どもの感性に逆に驚かされることもありますね。
同学年の授業では、中学校への進学を控えて不安な小学6年生のために、飲むと不安が解消される架空のドリンクを考え、それを入れるペットボトルのラベルをデザインするという題材も面白いです。どんな不安を想定するか、小学生の心に寄り添って考えることで共感性を養うことを狙いとしています。それとともに、どんなラベルだったら効きそうだと思ってもらえるかを考えていく過程で、色彩や配置のもつ効果や、レタリングなどの技術についても自発的に考え、身につける機会となります。
小学生向けの授業だと、決められた枚数の新聞紙を折りたたんだりして積み重ね、どこまで高く積み上げられるかをチームごとに競う、という題材などがあります。チームの中でさまざまな意見を出し合い、協働していくためのトレーニングですね。
―今までの美術授業のイメージとはずいぶん違いますね。何か元になるアイデアはあったのでしょうか。
私が専門で研究している、ユニバーサルデザイン(UD)の理念が元になっています。UDというと「障がいのある方や外国人など、全ての人に使いやすいような設計」を表す言葉として定着していますが、その理念の本質は「全ての人が自らの幸せを実現できるような社会をつくること」であり、自分や他者の夢を達成する力を子どもたちに育むという、教育面での取り組みも大事な要素の一つです。
以前に高校の美術教師をしていた際、障がいのある学生たちがいるクラスを受け持つ機会があり、多様な生徒と一緒に授業をつくっていく方法を考えていくうちにたどり着いたのがUDの考え方でした。寝たきりの人でも使いやすい食器を考えてみたり、車いすの目線を体験してみたりといった授業を試していくうちに、子どもたちの顔つきが明らかに変わり、主体的に物事に取り組むようになっていきました。教育現場でのこの経験が、ANCSモデルと深く結びついていると思います。
―今後の展望は。
現在はANCSモデルを岡山市内の中学校を中心に、神戸市や大阪市など多数の学校で実践していただいており、その評価を集めているところです。このモデルは図工や美術教育に限らず、さまざまな分野で応用できる可能性を持っています。有用性のエビデンスを集め、より多くの学校で活用してもらいたいです。
また、ANCSモデルの理念は、今年度から教育学研究科教育科学専攻のPBL(課題解決型学習)プログラムにも適用しています。対象が大学院生なので、より具体的で社会に活用できるような問題を発見し、解決に向けて課題を達成する力を育てるためのプログラムとして採用しています。小学校向けに新聞紙を積み上げる授業の例を紹介しましたが、大学院の授業ではそこから一歩進み、チームの各メンバーに「アイマスクをする」「右手が使えない」「しゃべれない」などの制約を設けて実施しています。「制約があっても、やってみたいという思いは変わらない」といった気づきを得てもらえたらと思っています。
現在大学院生たちは、学びの集大成として、ネパールで防災教育に取り組んだり、アメリカの健康教育を日本の高校で実践するなど7つのグループに分かれてPBLに取り組んでいます。目の前の課題だけでなく、その一歩先を見据えた新しい価値を提供できる力を身につけ、社会を切り拓くリーダーになってもらいたいですね。
略歴
清田 哲男(きよた・てつお)
1970年生まれ。神戸大学教育学部卒業、岡山大学大学院教育学研究科修了、兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科修了。博士(学校教育学)。専門分野・美術科教育。
兵庫県内公立中学校、高等学校教諭、川崎医療福祉大学医療福祉デザイン学科講師を経て現職。
(18.12.28)