沿革
昭和28年に整形外科が創立された時,その附属として「物療室」があった。
昭和36年の旧中央診療棟が完成した機会に,中央診療部門の1つとして「中央物療室」が組織された。
1診療部門として独立したのは昭和42年であり,この年に発足したPT・OT法により当院でも2名のPTが認定され,整形外科教授(故児玉俊夫先生)が併任部長となられた。
「理学療法部」という名称は,昭和48年に文部省令により改称されたものである。
現在の場所へは,昭和50年11月18日に移転した。
昭和53年から田辺剛造先生が,平成2年4月から井上一教授(整形外科)が部長である。
昭和63年4月23日に日本リハビリテーション医学会より専門医制度による研修施設として,また同年12月1日に岡山県作業療法施設基準の認定もなされた。
平成11年4月1日から院内措置による名称変更が認められ,「リハビリテーション部」となった。これは井上一部長,長島弘明前副部長の御努力によるものである。
また,平成11年4月1日,長島弘明副部長が退職され,後任として千田益生副部長が就任した。
平成13年4月より,非常勤職員として,理学療法士1名,作業療法士2名の増員が認められ,改装を行い,総合リハビリテーション施設として認められた。
平成14年4月,三朝分院と統合され正式に「リハビリテーション部」となった。
医学部附属病院と歯学部附属病院の統合に伴い,平成15年10月より「総合リハビリテーション部」となった。
平成16年4月からは,千田益生助教授が部長に就任した。
平成22年11月1日,千田益生部長は,岡山大学病院総合リハビリテーション部教授に就任した。