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赤外分光計測の飛躍的な感度向上に成功—人工的に作り出した暗闇で、分子を星のように輝かせて測る—

【本研究成果のポイント】
○ 入った光をどこにも逃さず吸収する人工光学材料“光吸収メタマテリアル”を開発
○ メタマテリアルが作り出す暗闇で、分子の疑似的な発光を高感度に赤外分光計測
○ 環境や医療・創薬における極微量試料の迅速かつ簡便な光計測技術に応用可能

 岡山大学大学院自然科学研究科(工)の石川篤助教と理化学研究所の田中拓男准主任研究員は、“光吸収メタマテリアル”と呼ばれる人工光学材料を開発。その表面に吸着した有機分子を、アト(10-18)モルレベルの高い感度で赤外分光計測できる技術を世界で初めて開発しました。本研究成果は、平成27年7月31日(英国時間:午前10時)に、英国の科学雑誌Nature姉妹誌の「Scientific Reports」に掲載されました。
 従来の赤外分光計測では、明るい背景光の中から試料が光を吸収した際のわずかな光強度の低下を検出していました。そのため、信号の弱い極微量試料の測定が困難という問題がありました。
 今回開発した赤外分光計測技術は、入った光をどこにも逃さず吸収する“光吸収メタマテリアル”によって、光計測において有利な環境である暗闇を人工的に作り出し、さらに試料と光吸収メタマテリアルとの相互作用により漏れ出してくる光を高感度に検出することで、高感度計測を可能とする技術です。これは、光吸収メタマテリアルが作り出す暗い背景の中で、分子の光吸収を擬似的な発光として測定するこれまでに無い画期的な方法です。今後、メタマテリアル構造を最適化して背景光をさらに抑えることで、ゼプト(10-21)モルレベルのさらなる高感度化も期待されます。また、分子を吸着させる基板を工夫するだけで実現可能なため、従来の装置を改造無しで利用できます。
 現在、赤外分光計測技術は、温室効果ガスや有害ガスを計測する環境モニタリングや呼気中のガス成分を分析し特定疾患との因果関係を調べる呼気診断に応用が進んでいます。本研究成果によって、本技術に基づく赤外分光センサチップの開発が進めば、計測技術の感度向上が見込まれ、環境モニタリングや呼気診断技術に貢献することが期待されます。
 本資料は、岡山大学記者クラブ、文部科学記者会、科学記者会に配布しています。

<背 景>
 赤外光[1]の領域には、有機化合物や生体分子固有の情報を含んだ吸収スペクトルが存在します。物質の指紋スペクトルとも呼ばれる赤外光領域で吸収スペクトルを調べれば、どこにどんな物質が、どのような環境にあるかを同定することができます。このため、赤外光のスペクトルを高精度に計測する分光計測技術は、物質科学、環境計測、医療・創薬への応用展開が期待されています。赤外分光法[2]は、この指紋スペクトルを簡便な装置で取得できる優れた分光手法として広く使われていますが、赤外光領域には熱に起因するノイズも多く、そのままの手法では信号の弱い極微量試料の測定が困難でした。赤外分光法の感度を向上させる工夫として、ナノ(10-9)メートルオーダーの凹凸構造を持つ金属表面に、検出対象となる分子を吸着させてからスペクトルを計測する「表面増強赤外吸収分光法」が提案されています。この方法では、金属ナノ構造の近くに発生する強い光電場によって、分子からの信号を数桁程度増強でき、ピコ(10-12)からフェムト(10-15)モルレベル程度の感度が報告されています。しかし、この方法では、試料表面の凹凸構造やその化学的な状態によって信号の増強度が大きく変化するため、同じ試料でも信号が異なったり、時には信号が全く得られなかったりするなどの問題があり、定性的な評価はできても、定量評価には利用できないといった課題がありました。さらに、そもそも明るい背景光の中から分子の光吸収に起因するわずかな光強度の低下を検出する手法のため、測定法として本質的に難しい手法であり、これまでの研究では、金属ナノ構造を工夫して、大きな信号増強効果をいかに再現性よく作り出すかといった点に注力されてきました。

<業績・研究方法>
 今回、研究グループは、光吸収メタマテリアルと呼ばれる人工光学材料を開発し、その表面に吸着した有機分子を、アト(10-18)モルレベルの高い感度で赤外分光計測できる技術を開発しました。従来の手法では、ノイズの原因となる明るい背景光の中から分子のわずかな光吸収を検出していたのに対して、今回開発した手法では、メタマテリアルが作り出す暗闇を利用して背景光を抑えるとともに、本来は吸収(暗くなる)として現れる分子からの信号を疑似的な発光として検出することで、高いSN(信号雑音)比[3]の高感度な計測に成功しました。
 メタマテリアルは、光の波長よりも小さな光共振器[4]を大量に集積化した人工光学材料です。自然界に存在する物質の光に対する応答が、原子や分子によって決まっているのに対して、メタマテリアルでは、光共振器の特性をうまく設計することで、天然物質では実現できないような光応答を人工的に作り出すことができます。
 今回、研究グループはまず、高感度な光計測において有利な環境である暗闇を作り出すために、入った光をどこにも逃さず吸収する”光吸収メタマテリアル”を開発しました。光の吸収量を増やすことは、光センサーの高感度化や太陽光発電の高効率化など、さまざまな光応用において重要です。ところが、光をよく吸収しうる物質ほど、光をよく反射するという物理法則があるために、完全な光吸収、すなわち真に暗い状態を天然の物質で実現するのは容易ではありません。例えば、金や銀などの金属材料は、光学材料としての特性的に光をよく吸収しうる物質ですが、その金属光沢に見られるように、実際には照射された光をほぼ100%反射してあまり吸収しません[5]。これに対して研究グループは、平らな金表面に赤外光に応答する微小な光共振器を配列することで、反射光を人工的に抑制し、赤外光を高い効率で吸収できる光吸収メタマテリアルを設計・作製しました。図1は、メタマテリアルの断面模式図と作製した試料の全体図、そして表面の電子顕微鏡像です。このメタマテリアルの作製には、電子ビーム蒸着法[6]と光リソグラフィ法[7]を用い、幅1.5ミクロン、周期3ミクロンの金とフッ化マグネシウムの積層リボン構造が、26ミリ四方に1次元配列したメタマテリアルを実現しました。光共振器である表面の積層リボン構造は、有機化合物や生体分子に多く含まれる炭素—水素間結合(CH結合)[8]の赤外スペクトルを高感度に検出するため、周波数3000cm-1付近の赤外光を吸収し暗闇を作り出すように設計しました。
 次に、メタマテリアル表面に、検出対象の有機分子として16—メルカプトヘキサデカン酸(図2上挿入図)の自己組織化単分子膜[9]を作製し、一般的な感度を有するフーリエ変換型赤外分光光度計を用いて分光計測を行いました。図2には、メタマテリアルに加えて、光共振器をもたない平らな金薄膜を用いた場合の赤外スペクトルを示します。金薄膜の場合、その表面からの明るい反射光(背景光)のノイズの中に、微弱な分子の光吸収が埋もれてしまい、本質的に高感度検出が難しいことがわかります。一方、メタマテリアルの場合には、光共振器に起因する大きな吸収によって計測したい周波数領域の余分な背景光が抑えられ、さらにその中に、有機分子のCH結合の吸収線がディップではなくピークとなって現れていることがわかります(図2下挿入図)。これは、光共振器の近くに分子が存在すると、分子と光共振器との相互作用によって光共振器から光が漏れ出すことで吸収されずに試料表面からの反射光として光検出器に届くためです。すなわち今回開発した手法では、光吸収メタマテリアルが作り出す暗い背景の中に、分子の光吸収が明るく輝く光信号として現れることになります。暗い夜空に輝く星が鮮明に見えるのを私たちは経験的に知っていますが、これと同じように赤外スペクトルを高いSN比で高感度に取得することができます。メタマテリアル表面に吸着している有機分子の個数をもとに検出感度を見積もったところ、約1.8アト(10-18)モルレベルの高感度な計測が達成できていることがわかりました。今後、メタマテリアル構造を最適化して背景光をさらに抑えることで、これまで不可能であったゼプト(10-21)モルレベルの高感度計測の実現が期待できます。また本手法は、分子を吸着させる基板を工夫するだけで、従来と比較して飛躍的な高感度化が実現できる技術であり、計測装置そのものは既存の分光光度計をそのまま改造無しで利用できる点も特徴の1つです。

<見込まれる成果>
 今後、多種多様な分子を検出できるマルチチャネル化を含め、高付加価値・使い捨て赤外分光センサチップとして開発が進めば、温室効果ガスや有害ガスを計測する環境モニタリングや特定疾患と因果関係がある呼気中のガス成分を分析する呼気診断などに貢献することが期待されます。また、今回開発した光吸収メタマテリアルは、赤外分光法に限らず、他の光計測技術における邪魔な光の除去にも応用可能であり、さまざまな光学機器の高性能化に広く貢献できるものと考えます。これまでのメタマテリアル研究では、金属構造による吸収損失が、実用的なデバイス応用進める上で大きな課題となっていました。本研究成果は、その吸収損失を逆に上手く利用したことも特筆すべき点であり、今後のメタマテリアル研究の発展に重要なマイルストーンになるものと確信します。

 本研究は、科研費新学術領域研究(No.22109006)、理化学研究所研究奨励課題および島津科学技術振興財団研究開発助成の助成を受けて実施しました。

<論文情報等>
論文名:“Metamaterial Absorbers for Infrared Detection of Molecular Self-Assembled Monolayers”
「光吸収メタマテリアルを用いた自己組織化単分子膜の赤外検出」
掲載誌:Scientific Reports Vol.5, pp. 12570 (2015).
著 者:Atsushi Ishikawa and Takuo Tanaka

発表論文は、こちらからご確認いただけます。


<お問い合わせ>
岡山大学大学院自然科学研究科(工)
助教 石川 篤(いしかわ あつし)
(電話番号)086-251-8140

 理化学研究所 田中メタマテリアル研究室
        フォトン操作機能研究チーム
准主任研究員 田中 拓男(たなか たくお)
(電話番号)048-467-9341

<補足・用語説明>
[1]赤外光
可視光の赤色光より波長が長く、電波のミリ波より波長の短い電磁波のことで、肉眼では感知することができない。本研究成果では特に、波長が約2.5から4ミクロンに分布する中赤外光のことを指す。この波長領域では、物質毎に異なる特徴的な吸収スペクトルが現れるため、赤外分光法を用いた物質同定に利用される。

[2]赤外分光法
物質に赤外光を照射し、その透過または反射光を分光し吸収スペクトルを取得することで、物質を構成する分子の化学構造やその状態を計測できる。赤外分光装置には、フーリエ変換型赤外分光光度計が一般的に用いられる。

[3]SN(信号雑音)比
計測において、検出したい信号量とそれ以外の雑音量の比で定義され、SN比が高ければ、雑音の影響が小さく高感度な計測につながる。

[4]光共振器
光素子の一種で、光を一定の空間内に一定の時間内だけ閉じ込めるもの。例えば、レーザ装置において、光をレーザ媒質中で何度も往復させることで、強いレーザ光を得るために利用されている。

[5]物質の光吸収と反射率の関係について
光吸収を考慮した物質の屈折率は、複素数N=n-ikで表され、実部nを通常の屈折率、虚部kを消衰係数と呼ぶ。この物質に真空中から光が垂直入射する場合の反射率は、フレネルの式で表され、R=|N-1/N+1|2となる。波長3ミクロンにおける金の複素屈折率は、N=1.85-21.7iと非常に大きな消衰係数をもつが、フレネルの式から算出される反射率は98%となり、光をほとんど吸収しない。この大きな反射率は、消衰係数が大きな値をもつことに起因する。

[6]電子ビーム蒸着法
真空中において、物質に電子ビームを照射することで蒸発させて、基板表面にその物質の薄膜を付着させる薄膜作製技術の一つ。

[7]光リソグラフィ法
集積電子回路の製造技術の一つで、フォトマスクと呼ばれる透明基板上に描かれた微細パターンを、感光性樹脂を塗布した基板上に光で転写する手法。感光性材料を写真の現像のように処理し、できたパターンに従って基板を化学処理するなどして、最終的に回電子路を形成させる。

[8]CH結合
原子間の結合は、赤外光からエネルギーを吸収し振動する柔らかいバネで繋がれたようなモデルで表される。有機化合物や生体分子を構成するCH結合には、対称と非対称の伸縮振動があり、それぞれの振動エネルギーに応じた周波数2855cm-1と2920 cm-1付近に吸収線が現れる。

[9]自己組織化単分子膜
特定の有機分子が基板表面に化学吸着する過程を利用し、分子の配向性が揃った密な状態の分子1層分(1〜2nm)の被覆を基板表面に形成した構造のこと。


図1.(a)メタマテリアルの断面模式図、(b)試料の全体図と(c)表面の電子顕微鏡像



図2.(a)金薄膜と(b)メタマテリアル表面に吸着した16—メルカプトヘキサデカン酸の赤外スペクトル。
挿入図はそれぞれ、16—メルカプトヘキサデカン酸の分子構造と矢印付近の領域を拡大したもの。