墳 丘
<グラフィック表示:第3次調査トレンチ配置概念図>
北西トレンチ・西トレンチ
東塚墳丘では昨年度までの調査に引き続き、北西トレンチと西トレンチを各調査区の目的に沿う範囲で再設定し、調査を行った。
北西トレンチでは、東塚築造時の第2列石から第1列石までの墳丘上面の検討とともに、西トレンチおよび北西トレンチ北側で確認されている第1列石の検出を行うために、東塚第2列石から第1次修築列石にかかる、南北1.5m、東西3mで調査区を設定した(写真へ:北西トレンチ南壁セクション<南から>)。
土層の観察と平面的な墳丘上面の検出を試みたが、墳丘上面および第1列石の確定ができなかったため、第1次修築列石の取り外しを行った。検討の結果、南壁にかかっている第1次修築列石最下段の石は据えるための掘削が伴っていること、また第2列石付近に見られる流土が第1列石側に続かないことから、最下段の石は第1列石を構成していたものではなく、第1次修築列石に伴うものである可能性が高い。よって、第1列石はこの部分では流されたか、第1次修築列石構築時にはずされ、第1次修築列石は東塚築造時の盛土と流土とを掘削して築かれたと考えられる。
(右写真)北西トレンチ北拡張区完掘状況<北から/拡大>
これとは別に、北西トレンチでは東塚第1列石の北西角を確認する目的で新たに北に拡張区を南北1.5m、東西2mの範囲で設定したが、墳端が南壁にかかる状態で検出されたので、さらに既調査区の北東隅を南北1.5m、東西2.5mの範囲で掘り上げ、検討を行った。その結果、第1列石はさらに北側へのびず、東側にも屈曲しないことが判明した。また、断ち割りによって、礫岩の岩盤の直上に墳丘築造当初の盛土が施されていることがわかった。墳端から北側では同じく岩盤の直上に流土が堆積している。東塚の墳丘の北側には列石は存在せず、岩盤上に盛土をし、墳端を区画していたと考えられる。第1列石として確実なものは、第2次調査で確認されたもののみで、今回の調査でその北側に検出された石灰岩1個は東塚築造時の盛土との間に流土をはさむことから、元来第1列石の北端を構成していたものが、ずれ動いたものと考えられる。
西トレンチでは東塚築造時の墳丘上面の再検討と東塚石室の天井石構架のための作業面の検討のため、第1列石より東側で南北1.5m、東西3mの調査区を設定した。さらに、第2列石より上段の列石の存在の有無を確認するため、東に1m拡張したが、列石や抜け跡等は確認できなかった。
(左写真)西トレンチ完掘状況<西から/拡大>
また、東塚石室の天井石構架の作業面の検討のため、第2列石を取り外したところ、新たに1列の列石が確認され、これまでの成果と合わせると、西トレンチでは計6列の列石の存在が明らかになった。この新たに確認された列石は現状では1段で、主として石灰岩を用いている。この列石の下面のレベルは第1列石の上面のレベルとほぼ一致しており、東塚の築造に伴う列石であると考えられるが、その性格や、各トレンチで検出されている列石との対応関係は西トレンチでは把握することができなかった(写真へ:西トレンチ北壁セクション 東塚第2列石付近<南から>)。
天井石構架の作業面に関しては、第2列石以東に作業面と考えられる明確な土層変化はなく、これも未解明である。また、第2列石構築時の墳丘上面の再検討から、昨年度までの見解を修正し、墳丘上面を確定した。
墳丘のまとめ
今回の調査で、従来墳端を画すると考えられてきた東塚第1列石が北辺には連続しないことと、北西トレンチの北東隅にあたる部分では岩盤が検出され、墳丘の盛土がその直上に施されていることが明らかになった。すでに第2次調査概報において、墳丘東側では一部旧地表面より下位の岩盤まで掘削し、北東から南東にのびる丘陵との切り離しを行った上で盛土が施されるという過程を、東トレンチの土層観察から考えている。今回の成果からは、これと同様の工程が東塚北側一帯にわたって行われていたことを看取できる。
西トレンチでは東塚第2列石の下方から、新たにもう1列の列石の存在が判明した。この列石の性格付けについては次回調査以降の課題として残される。また西塚前庭部で、開口部列石が東に連続する状況が明らかになっている。この列石と東塚の列石がどのように関連するのかということも、東塚と西塚の相互関係を追求する上で、重要な問題になってきた。
第2次調査概報では石室の天井石構架のための作業面の存在を指摘し、その検証を今回西トレンチで図ったが、これを確認することはできなかった。東塚第1列石や石室の構築方法についても十分な知見を得られていない。東塚前庭部第1列石についてはその性格を断定するまでには至っていない。
これらのほか、旧地形の整地状況、墳丘の成形、東塚と西塚の築造順序などについては、第2次調査概報の見解との変更はない。