今回の調査は1996年3月1日から3月29日までの期間、岡山大学考古学研究室の1年生から3年生までのほぼ全員と4年生の一部、および大学院生、熊本大学学生2人、香川大学学生1人、鹿児島大学学生1人が参加して行われた。
今回の調査では、定東塚古墳で既掘調査区の掘り上げや拡張による再調査、および石室の実測図の作成を行った。また、2年目の調査となった定西塚古墳では、石室と前庭部で発掘調査を継続した。
東塚墳丘に関しては、依然墳形と墳丘構造について未解明の点が多く残されており、今回はこれらの補足確認のため、北西トレンチと西トレンチを調査した。
東塚北西トレンチは南壁土層の再検討を行う一方、北に拡張区を設定して調査し、第1次調査からの目的である東塚北西角の墳端の確定を果たしている。
東塚西トレンチでは、第2次調査の結果、第1次調査時における墳丘上面の推定と土層解釈に無理が生じていたため、北壁土層を再検討した。この過程で東塚第2列石の直下にさらにもう1列の列石の存在が判明したが、これらの列石の性格についての検討は、来年以降の調査の課題となった。
東塚前庭部では、東塚前庭部第1列石付近の土層解釈の確定を目的とした補足調査を行ったが、石室中軸線付近の土層観察だけでは限界があった。そこで新たに前庭部東トレンチを南に拡張して掘り下げを進めたが、これに伴って前庭部第1列石が石室主軸線を対称線として両側に「ハ」の字状に広がる状況が明らかになった。
東塚石室では実測図の作成作業と閉塞施設の調査を実施した。今回閉塞施設では第2閉塞の石材を取り外し、追葬にかかわる閉塞の状況を把握することを主眼に、改めて土層検討をおこなった。その結果、これまで3グループに分けて把握されてきた閉塞施設の構築順序が明らかになった。石室実測図については、これを完成させている。
西塚前庭部では西塚石室中軸線の西の部分と昨年度調査区域の東に拡張区を設定し調査を行った。そして、石室側壁に連なり墳丘南面を画する列石(開口部列石)の状況が明確になりはじめている。
西塚石室では、すでに昨年度中に厚く堆積する攪乱土の除去を終えていたが、今回の調査で青銅製の鞘尻や鉄鏃をはじめとする武器、須恵器、土師器など多数の遺物が出土した。また、新たに陶棺が1基確認され、西塚石室の陶棺の総数は6基となった。調査開始当初は今年度中の陶棺搬出を予定していたが、予想を上回る遺物の出土量のため、今年度は土層観察用ベルトの撤去も完全には行うことはできず、陶棺の実測と搬出の作業は来年以降に持ち越すことになった。閉塞施設に関しては、今回の調査によって規模と構造が明らかになりはじめた。
こうした発掘調査と並行して、北房町中津井地域を対象とする古墳の分布調査に着手している。これは「定プロジェクト」の一環をなすものであるが、今回は近隣に所在する大塚古墳の石室略測と周辺地形の測量を、3月4日から11日にかけて実施した。さらに中津井地域の北半部で踏査を行っている。
ほか、3月8日には文部省科学研究費補助金・重点領域研究「遺跡探査」プロジェクトに関連して、京都大学工学部助教授佐藤亨氏らの手により、西塚石室と東塚北西トレンチで地中レーダー探査を行っている。
(左写真)西塚石室内レーダー探査風景
(写真へ:レーダー探査参加者)
また、現地説明会を地元定地区向けに3月23日に、一般向けには3月24日に実施し、それぞれ約25人と約120人におよぶ参加者を得た。これに先立ち、高梁市記者クラブに対する記者発表を3月21日に行っている。
(右写真)現地説明会風景<3/24>
なお、本概報で用いる古墳の正式名称は「定東塚・西塚古墳」とし、「東塚」、「定東塚」などはすべて略称である。