岡山大学 法学部

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2004年度 第22回世界ジュニアパワーリフティング選手権大会

2004年度 第22回世界ジュニアパワーリフティング選手権大会 結果報告

去る9月7日~12日、南アフリカ共和国・プレトリアにおいて、世界ジュニア・サブジュニアパワーリフティング選手権大会が開催されました。参加国数約30カ国、参加者数約220名の大規模な大会に、日本代表選手として岡山大学から男子82.5kg級:岡村聡晃(2回生)が出場し、コーチとして阿南喜裕(OB)が同行致しました。その模様をご報告致します。

会場となった THE CAROUSEL CASINO

概況

今回からジュニア(19~23歳の枠)、サブジュニア(14~18歳の枠)が合併し、あわせて日本選手団は選手31名、セコンド等9名で構成された、40名という過去最大規模のものとなった。現地までは、成田、名古屋、大阪の各地から香港で合流、経由し(約3時間)、香港からヨハネスブルグに向かい(約13時間)、空港からはバスでプレトリアまで(約1時間)という、約20時間もの気が遠くなりそうな道程だった。

ちなみに、帰りには南アフリカからの飛行機が、エンジントラブル(エンジン火災)のため、飛び立って2時間後には再びアフリカの地へ舞い戻り、1日遠征が長引いたことを記しておく。

とにかく今回の移動には体力を相当消耗させられた。

飛行機を降りて、まず第1に感じたことは、1日の気温差の大きさである。季節が日本とは反対の初春というのもあるが、朝7時現在で、2℃。ところが、昼の2時頃には25℃を越えている。ただ、非常に乾燥しているので過ごしやすい。滞在期間中に汗をかいた記憶がないほどだ。

出国前から心配されていたのが治安の悪さ。無事に帰国できるか、ケガなどはしないか、と以前から聞かされていたが、さすがは世界の観光地、素人の私たちの見た目には至って安全そうに見える。ただ、中心地を抜けると道路沿いには何百万人規模で固まっている、有刺鉄線付きのスラムを幾つか目にすることがあった。これは会場付近にも点在したため。滞在期間中は敷地内から一歩も出ることは許されなかったのが少し残念ではあった。

試合会場兼宿泊施設となったのが、なんとカジノ。会場内には100台近いスロットや数10台のポーカーテーブルなどがある。宿泊は敷地内のコテージ。とてもこれから試合をするという雰囲気ではない。本当に華やかなところだった。

外部とは完全に隔離されてしまっていたため、カジノ内のレストランでの食事、買い物に行動が制限されてしまったが、物価は日本とほぼ同等であった。

試合の舞台は比較的整っていた。舞台のすぐ裏側に控室、そこと繋がってウォーミングアップ場が5面ある。モニターで現在の試技の様子、記録表が映し出されており、進行状況がよくわかる。その横には有料でマッサージが受けられるブースなどがあった。選手にとっては申し分ないように見えた。

ここで5日間の激戦が繰り広げられた。

会場の中は華やかなものだった

岡村聡晃 選手のコメント

プレトリアは気候もよく、治安も隔離されたカジノで試合ということで安心して生活できました。食事もなんともボリュームのあるものばかりで味も悪くなくとても有意義な海外遠征でした。帰りの飛行機左エンジンの故障さえなければもっと最高でしたが。

試合前日、最後まで応援をしていたため周囲から疲れているのではと心配されたが、思いの外、いい感じの疲れで調子が良さそうだった。1日会場にいたことで変な緊張をすることもなく試合に集中することができた。

スクワット第3試技225kgは軽々と成功

スクワット1本目200kg、上がり始めでバランスを崩してしまい左膝の力が抜けて重く感じた。集中が足りず、適当な試技をしてしまい、上手く次への切り替えができることになった。

2本目225kg、練習では何度も挙げている重量なので恐れはなかった。少し重く感じたが問題なし。しかし深さで赤。アップの時から深さを言われていたが軽かったので気にしなかったのが赤になってしまった。

3本目225kg、絶対成功できる自信があった。集中もできて、とても軽い会心のスクワットができた。235kgぐらいはいけたかも。

岡村のきれいなベンチプレスのフォーム

ベンチプレス1本目、165kgが降ろし辛かったので、167.5kgに上げた。しかしバーが胸に付いたとき右胸に嫌な音がしたが難無く成功。阿南さんにみてもらうと穴が開いており、急遽予備のシャツに着替えた。岡山を出る直前に適当に縫ったシャツだったので不安だったが、172.5kgから175kgにあげていたため、自分を信じることができ不安は消えていた。

2本目175kg、押し切る前にバランスを崩し、腹側へ押してしまい押し切れず失敗。

3本目175kg、なぜか成功できると信じて疑わなかった。おかげで問題なく成功。

デッドリフト1本目240kg、足場が滑って集中できない。外に蹴ることができず上体だけのフォームに。重いが何とか挙げきった。しかし赤で失敗。

2本目240kg、悲観的になり失敗が頭をよぎる。足の滑りは1本目よりはましだがやはり気になり、フォームがとれない。重い。挙げてもまた失敗。あせった。

3本目240kg、今までで1番集中というか他のことが考えられないほどの状態で試技に入った。気づけば成功していた。ベルトを締めることを忘れていたほどだった。安心と同時に悔しさが溢れてきた。絶対強くなって帰ってくると誓った。

気合の入ったデッドリフト第3試技240kg

世界の借りは、世界で返す。メダル獲得に向けて昨日より今日、今日より明日、強くなります。本当にいい試合でした。

総評

日本選手の成績は、サブジュニアで優勝1名、2位2名、3位6名。種目別ではジュニア、サブジュニアあわせて世界記録2つと金メダル5個、銀メダル8個、銅メダル14個。非常に優秀だった。特にベンチプレスにおいて日本選手のテクニックは、間違いなく世界のトップクラスにある。今後の更なる活躍に期待したい。

岡村は、本当に世界大会初めてだろうか、と思うほどの貫禄を漂わせていたのが印象強い。記録もさておきながら、日本選手への応援の声、選手・セコンドへのサポート、海外選手との交流、どれをとっても率先して行動で示した。特に響いたのは、「目に入るすべての選手に対して声援を送らざるを得ないくらい、すごいところでした」とのコメントだ。実際、海外の選手に対しても声を張り上げている姿はビデオにもしっかりと残っている。それくらい今回の経験が、彼に及ぼす影響が大きかったのだろう。「絶対強くなって帰ってくる」ことを信じずにはいられない。

大いに盛り上がったレセプションの様子

全体を通して感じたこととして、まず第1、成功率の低さ。平均して4~5本前後、失格リーチも多数。国際大会であるから初めから勝負掛けをするのも解かるが、高重量を扱っても成功させなければ順位はつかない。まず誰から見ても大丈夫だと思う申請をし、1本とってから勝負をすべき。

第2に、日本人に対する判定の厳しさ。国際大会であるからルールに忠実であるのは当然であるが、私の目からみても限度を超えていると感じる。全日本クラスの大会であの水準の判定をすれば半数は失格するだろう。しかしこの大会ではそれが現実である。国際大会に挑む選手はより完璧なフォーム作りを徹底する必要がある。

第3に、日本チームの結束力。ジュニア、サブジュニアともにほぼ同世代の集まりなので、すぐ仲良くなる。このノリが最大の特徴であり、最高の武器でもある。日本選手がプラットフォームに立てば、全員で声を張り上げて応援する。国を越えて、良い仕事をした選手には拍手で迎える。最後には日本チームとアメリカチームとの応援合戦になっていたようにも見える。ウォーミングアップが始まる前から場所を確保したり、役割を分担しながら選手をサポートする。31人もの選手が出場したにもかかわらず、各選手には常に3~5人のフォローが付いていた。

今回は、ジュニア、サブジュニアの共同開催ということで、どちらの選手にも刺激が多かったように見える。特にサブジュニアの選手にとってジュニアの選手は1つレベルが上に見えたようで、本当に強い選手たちを間近で見ることができ、興奮したようだ。

海外ではいつもそうだが、「言葉の壁」というのは大きな障害である。失敗理由がよく分からず陪審席で確認するときも、普段の生活でのトラブルも、実際に分からなくてもなんとなくの雰囲気で理解できることは多々あるが、的確に意志を伝える言葉としては表現できない、なかなか伝わらない。今回ほど真剣に英語を勉強したいと強く思ったことはない。

今回の日本選手団

今回このような沢山の貴重な経験を積む機会をご支援いただきまして、ありがとうございます。これを生かし、さらに一人でも多く世界の舞台で活躍できるよう邁進いたしますので、今後ともかわらぬご指導ご声援を頂けます様、宜しくお願いいたします。

( 文責 : 岡村聡晃、阿南喜裕 )