教室紹介

ごあいさつ

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ACCESS
病理学は、病気の原因や成り立ちを科学的に解明する学問です。
私たちは、炎症反応の分子基盤と炎症反応が生体に及ぼす影響について研究し、
科学的証拠に基づく難治性炎症疾患の新規治療法戦略創出を目指しています。 
診療面では、
岡山大学病院を始め地域関連病院の病理診断・剖検診断に貢献しています。
教育面では、学部教育・卒後教育を通して基礎医学・臨床部門としての病理学の重要性を説き、
研究マインドを持った病理医を輩出したいと考えています。
病理学教室は明治3年開設の伝統ある教室で、第一病理学講座としては、
大正13年開講以来80年の歴史があります。   
                                                             
病理学(免疫病理)教授 松川昭博   
研究室案内

研究室へようこそ

 
平成20年4月の新研究室移に伴い、事務機は一新し、新しい設備・備品類も多く導入しています。機能的なレイアウトで、快適な研究環境です。
 
主な高額研究機器
 

教室写真
細胞培養室 実験室 実験室2 実験室3 ミィーティングルーム 顕微鏡室 動物実験室 研究室 研究室2 薄切室
教室沿革


 
明治3年(1870年) :岡山藩,医学館を設置(現東山公園) 
                                      病理学を含む11科目からなる
明治4年(1871年) :医学所と改称
明治5年(1872年) :医学所と病院を岡山中之町に移転
明治9年(1876年) :医学所を医学教場と改称し、病院附属とした
明治10年(1877年):石坂堅壮、剖検により肝臓ジストマ発見
明治13年(1880年):岡山区弓之町へ改築移転 岡山県医学校として独立
明治16年(1883年):甲種医学校の允可 西日本最大の医育機関となる
明治17年(1884年):岡山城内西丸に移転
明治21年(1888年):第三高等中学校医学部開設、岡山県医学校を廃止
明治23年(1890年):新校舎へ移転
明治27年(1894年):高等学校令により、第三高等学校医学部と改称
明治34年(1901年):第三高等学校医学部は岡山医学専門学校となる
明治37年(1904年):病理学教授桂田富士郎、日本住血吸虫を発見
                                   (大正7年に帝国学士院賞)
大正11年(1922年):岡山医学専門学校廃止され、岡山医科大学となる
大正13年(1924年):病理学第一初代教授に田部浩就任
昭和24年(1949年):国立大学設置法により岡山大学医学部となる
昭和29年(1954年):田部浩教授退官
昭和30年(1955年):妹尾左知丸教授就任、医学部に大学院設置
昭和30年(1955年):妹尾左知丸教授、森永ヒ素ミルク事件解明
昭和32年(1957年):旧基礎医学棟第一期工事完成
昭和43年(1968年):旧基礎医学棟第二期工事完成
昭和54年(1979年):病理解剖室竣工
昭和55年(1980年):妹尾左知丸教授退官、粟井通泰教授就任
平成2年(1990年):粟井通泰教授退官、岡田茂教授就任
平成11年(1999年):新基礎研究棟第一期工事完成
平成13年(2001年):大学院医歯学総合研究科設置
平成16年(2004年):大学法人化され、国立大学法人岡山大学となる
平成17年(2005年):薬学部を加え岡山大学大学院医歯薬学総合研究科となる
平成17年(2005年):岡田茂教授退官、松川昭博教授就任
平成20年(2008年):新基礎研究棟第二期工事完成、新研究棟へ移転 
同門会

 同門会
 
 
会長 荻野 哲也 ごあいさつ
常任幹事 大原 利章
 
基礎研究棟:昭和30年頃

歴代教授
大正13年〜昭和29年:田部 浩
昭和30年〜昭和55年:妹尾 左知丸
昭和55年〜平成 2年:粟井 通泰
平成 2年〜平成17年:岡田 茂
平成17年〜現在   :松川 昭博