石室内では6基の陶棺が原位置を保った状態で確認されているが、多くは蓋や身の上部を破損している。今年度調査において全ての陶棺を石室内から搬出したことにより、昨年度調査までは詳細が不明であった6号陶棺など、各陶棺の全容が明らかになりつつある。
まず6基の陶棺は、土師質切妻家形陶棺である1・3・5・6号陶棺と、土師質亀甲形陶棺である2・4号陶棺に大別できる。さらに土師質切妻家形陶棺4基は、外面調整や軒部の形態、突帯の数、脚の形態などから1・6号陶棺と3・5号陶棺に分類することができ、土師質亀甲形陶棺2基もそれぞれ細部の形態が異なるようである。この4分類案に基づいて各陶棺の概要を記述していく。
1・6号陶棺は身、蓋ともに外面に格子状のタタキが見られるのが特徴である。また身の底部にはタタキ痕をすり消した跡も見られ、脚内部の底部と接合する面には同心円状の当て具痕が見られる。蓋の軒部は両者ともに外反していないが、その接合位置が異なる。他にも両者間では突帯の幅、身と蓋の組み合う部分の形状や蓋の内面につく同心円状の当て具痕などに若干の差異が見られる。
今回、蓋の妻部分に装飾的な円形浮文を伴う粘土帯を貼りつけた陶棺片(写真)が出土した。円形浮文の中心と周囲には、黒色顔料が塗布されていると考えられる。接合関係や断面の観察などから1号陶棺のものであることが確認されている。
3・5号陶棺は身、蓋ともに外面にハケ目が見られるのが特徴である。ただ3号陶棺が身、蓋の内外面全体にハケ目が見られるのに対して、5号陶棺は身の外面に一部見られるのみである。特に脚の形状について記せば、5号陶棺の中央列の両端を除いた6つの脚がやや小さめで下端で外反する形態であるのに対し、周囲の脚は円筒形である。また円筒形の脚についてのみ穿孔が施されている。脚の接合位置によって形状の異なる脚を使い分けている可能性があり(写真)、注目できる。また、3・5号両陶棺ともに、身と蓋の外面に赤色顔料が塗布されていた可能性がある。
2号陶棺は残存状況が悪く全容を把握できない。身には内外面ともにナデが施されている。蓋の外面にはナデが施され、内面には同心円状の当て具痕が見られる。蓋に突起を有し、4号陶棺よりも長く先端に向かって細くなる。脚は内外面ともに横ナデが施されており、4号陶棺の脚と比べ、器壁が薄く精巧なつくりである。
4号陶棺は身、蓋ともに丁寧なナデが見られる。焼成がこれまでの見解と異なり、不良であることが明らかとなった。蓋に突起を有し、その先端部分は平坦である。脚は円筒形で外面は縦方向のハケ目の後、下端にナデを施しているが丁寧ではない。脚内面は何も調整を施していないため、粘土帯の単位が明瞭に観察できる。全体的な形態が定北1号・3号陶棺と類似する。
今後の課題の一つとして各陶棺の時間的な前後関係が挙げられるが、その解明の手がかりを幾つか提示しておく。まず脚下より陶棺片を出土した陶棺については、その陶棺片の帰属を調べることが重要である。また1・2号陶棺は脚下に何も遺物が存在しなかったのに対して、3・4・5・6号陶棺は脚下に須恵器や鉄製品が出土している。また亀甲形陶棺である2号陶棺と4号陶棺では突起の長さや突起と突帯の関係が重要であり、1号陶棺にある円形浮文を伴った装飾も古式の様相として注目されよう。
岡山大学文学部考古学研究室 copyright,1997
制作者:藤井